人生の中であの日、あの瞬間どこで何をしていたかを覚えている日なんてそうそう無い。
しかし多くの人はこの日、この時間、何をしていたか何を思っていたかを記憶しているだろう。
まだ小さかった我が子はこの日の記憶がない。
繰り返し繰り返しテレビで流される原発の様子を見ていても何がおきているのか大人でも理解出来なかったあの日。
この映画に遺された原発がもたらした豊かさと引き換えに受け入れなければいけないリスクとは。
日本が壊滅的な状態になるのを命がけで阻止しようと努めた東電のフクシマ50の美談としてではなく、「あの日」こんな人生を送った人たちがいたということ。
忘れてはならない。伝えていかなければならない。でも未だに傷が癒えず、言葉にすることが出来ない。そういう人も多くいる。
だから映画にする。風化する前に。