賽の河原

Fukushima 50の賽の河原のレビュー・感想・評価

Fukushima 50(2019年製作の映画)
2.0
最近「アベ政治を許さない」がマイブームでね。バカにしすぎて燃えるのもアレですよね。日本アカデミー賞受賞作の『新聞記者』も控えめに言って2019年で最低の作品だと思ったのでね、「あれ?俺ネトウヨなんじゃね?」って勢いですけど、アベ政治を許さない勢がみんなで叩いてる『Fukushima50』を観に行って自分がネトウヨなのか確かめて来ましたけど、この作品、普通に問題あると思うし色々ダメなのでもうネトウヨにもなれそうにないですね。
東日本大震災とそれに伴う福島第1原発の事故を扱った作品でね。正直震災から9年経つわけで、なかなか風化してる部分もあるわけですが、やっぱりこの件は今もアクチュアルな問題で、非常に政治的にも微妙な問題をはらんだテーマであることは間違いない題材を映画にしてる。だからこそ映画の作り手は「実際に起こったことやそれに付随する根深い問題」に真摯に向き合おうという気骨がなければ扱うべきではない題材だと思うんですが、正直そこまでの覚悟を持って撮った映画だとは思われない、そして映画というフィクションに落とし込むときの操作に政治的な意図を感じざるを得ないという意味でね、全然ダメだと思うし叩かれるのも致し方ない出来だと思いましたね。
福島第1原発の事故を描いている映像作品、不勉強にして『太陽の蓋』は未見なんですが、私の中では今は亡き大杉漣さんが出演していたNHKスペシャルの『メルトダウン』とか挙げられると思うんですが、なかなか映画にするのは難しい部分があるのは分かるんですよ。
例えば原発事故で起こった事象って非常に専門性が高い側面もある。要は格納容器が、とか原子炉建屋が、とか言われてもパンピーには分からないわけですよ。だからNHKスペシャル的なテレビの再現ドラマであれば「この時、原子炉内では...」みたいなCG交えた説明が入る。要は「危険な状況の危険さを説明するくだり」を入れることができるわけですが、これは映画とは非常に相性が悪いわけです。映画の物語の強度を減じるおそれがある。しかも、福島第1原発の事故は展開としてまだ完全に終わっていない。なんなら汚染水の問題とか廃炉へのロードマップ、避難区域にしていされ生活の場を奪われた住民がいる、とかさ。劇映画的な「めでたしめでたし」っていう着地点がないっていう意味での難しさもある。これだけですごくハードル高いんですよ。だからこそ上にも書いたように原発事故に真摯に「どう映画として撮るべきなのか」っていう倫理的な問題と向き合う必要がある。
ところがこの映画はほとんどそういうことには向き合ってるとは言えない。なんなら劇的な盛り上がりっていうのはいわゆる「フクシマ50」(私はこの用語にもかなり懐疑的ですが)が自らの犠牲をも厭わず頑張った結果、原発事故が収束しました。ってレベルの話でね。あまりにナメたつくりだと思うし、「映画の作り手のレベルが低すぎてこうなった」ならまだいいですけど「政治的な意図を持ってこうなった」というテイストすらあるのが良くないですよね。
題材に対するスタンスの問題はまた後でも触れますけど、映画的なつくりも凄く緩いですね。特に役者の演技のトーンはもう少しどうにかしようと思わなかったんですかね。おそらく映画の作り手側は「リアリティ」を大事にしたかったんだと思います。だから役者に「演技させる」っていう要素を削りたかったんでしょう。結果として「役者に素人感を演じてもらう」。これはボチボチ上手く行ってるように見えます。
ただね、若松節朗監督は前作『空母いぶき』でもそうだったんですが、オンの場面はそれなりなのにオフの場面のゆるさが致命的に良くない。どうしても原発職員の家族の物語とか親子の物語が薄っぺらいんですよね。
もう誰もが指摘してる問題だとも思いますが、事実と異なる演出、特に内閣や東電本店の描き方とかもね。「現場=善」「上層=悪」みたいな単純な二項対立でこの題材を描こうとするのも映画人としての矜持が感じられないです。
もちろん映画的な盛り上げのためになかったことをさもあったかのように描いているのも、順序を入れかえたり、一面的な描き方をしているのもどうかと思いますね。
映画の着地点、今日3月11日を迎えて、思い出しながら腹立たしくなってきますけどね。渡辺謙演じる吉田所長が「我々は自然をなめてたんだ...」っていう手紙を佐藤浩市が読んで、桜を眺めつつ終わるっていう...。
「ハァ⁉︎」って感じですよ。こんだけやって...「ハァ?」っていう。んでエンドロール的に「東京オリンピックは復興五輪だ」「聖火リレーは福島からスタートする」とか流れるっていう。
ありえない倫理観のなさですわ。逆に桜を見る会イジりなんですかね?
もうそういう呑気を通り越して不誠実なエンディング観てるとね。「いやー、これは政治的な意図を持った映画としか見えねえわ」ってなりますよ。今も、汚染水どうする?海に流すか?でも福島の漁業関係者をまた殺すわけ?みたいな切実な問題が現実にあるのにそれまで映画のなかで一言も触れずに唐突に「復興五輪」とかすげえよ。そういう厚顔無恥さで言ったら今年ベスト級ですね。
出来が良くない映画は数多ありますけど、人を不愉快にさせる薄っぺらさ、不誠実さ。『新聞記者』も『Fukushima50』も本当に酷い。100回言ってますけど、プロパガンダ映画つくるにもさ、歴史上すごいプロパガンダ映画ってありますよ。別にプロパガンダでもいいけど、ちゃんとプロパガンダ映画作ってくださいよ。
賽の河原

賽の河原