四畳半ガールのび太

天気の子の四畳半ガールのび太のネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

2回目の鑑賞 4.4
(1回目の鑑賞は2019年の9月中旬過ぎに観た)

「コドモは一人の人と世界を天秤にかけて、一人の人を選び取る。オトナは現実と折り合いをつける。(必ずしもコドモであるべき、オトナであるべきというつもりはない。)でも、大体のオトナって、本当に自分と自分を取り巻く現実に向き合ってるか? 」

「コドモのまま自分に正直に、選択をし続ければいい。でもそれが世界に与える影響はなくならない。自分の行うことの重大さを認識した上で、その現実を直視してむきあうことが本当の意味で大人である、そしてコドモのままオトナになるということだと思う。」

今回の鑑賞で一番の発見はラストシーンの最終盤だった。
高校を卒業した帆高が陽菜の元へ向かうシーン。道中帆高は考える。3年経って東京に戻ってきて雨がふり続けているという現実を目の当たりにし、自分が下した選択についてどう受け止めればいいか戸惑っていた自分に対し、周りの大人(須賀さんや瀧くんのおばあちゃん)は「世界なんて元々狂っていたのさ、そんな気にかけるなよ青年」と声をかける。自分も陽菜に同じような言葉をかければいいのか。駅を出て、坂を登るとフードを真深く被り空に向かって祈りを捧げる少女の姿が目にうつる。「違う!」刹那、少年は気づく。「僕たちは世界を決定的に変えてしまったんだ。僕は君の大丈夫になりたい。」

このシーンについてエンドロールを眺めながら少し考えていた。
初回観た通り、帆高が陽菜を取り戻すシーンのところまでは帆高と須賀の関係性を軸に、世界と愛する人の選択におけるコドモとオトナの違いあるよねと考えていた。では、コドモのままオトナになるにはどうすればいいんだろう?新海誠はそれに対し最後で何か答えを提示していたっけ?と思いながら上のシーンを迎えた。ここに新海誠なりの僕の問いへの回答が現れているのではないだろうか。
「世界なんて元から狂っている。」この言葉は印象的で、確かに初めてみたあとは自分も劇中の要素の中でも結果的にかなり印象に残ったものの一つだ。これをみた人の中でもこの言葉の真理らしさに共感する人は多いように感じる。でも、違うんだ、と思った。つまり、この言葉は現実を本当の意味で直視せずに、現実と折り合いをつけるだけで現実を直視している気になっているだけじゃないか、と新海誠は描いているように思う。というのも、上で振り返った通り、青年になった帆高は納得仕掛けて飲み込もうとするも、結局「違う!」と強く否定しているからだ。
ここからは僕の邪推だが、この揺れ動きの描写は新海誠自身の思考過程をある程度忠実に再現したのかもしれないなと思った。陽菜を取り戻すシーンまでを描いた上で、「人間は年をとる。コドモのままだけであることは全肯定できることではない。じゃあコドモのままオトナになるにはどうすればいいってことなんだろう?オトナってなんだろう?」みたいな。
シンエヴァではオトナになることの要素の一つとして「自分の非を認めること」が描かれていたと思う。ここで指摘した点もそれにつながるところがあるのではなかろうか。繰り返しになるけど、メッセージとしては次のようなものなんじゃないか。
「コドモのまま生きろ=自分の気持ちに正直に世界と一人の女の子を比べても女の子を取れ。でもその落とし前をつける責任は自分にある。適当な言葉で誤魔化してしまうことは簡単だし、それも間違っているとは言い切れない。でも向き合って生きろ、それがオトナだ。」みたいな。
個人的にはかなり大きな結論を2回目でやっと得られたかなと思います。あと、世界は元々狂ってる、に共感してる人がなんとなく多そうで(自分もそうだったけど)、いやいやむしろこれ最後では結局否定とまでは行かなくても少し違うよってことを言われてるのでは?と思ったので長々と書いてみた。(思い出した、この狂った世界で、ってこないだテレビ放送の特別エンディングムービーであったんや。いあy確かに世界は狂っているのだが。)

以下感想雑記
・正直初見ほどの感動とか衝撃はなかった。初回見た時はまじでベストムービー確定だろ的な感じだと思ったが、見ない間に勝手に自分でハードルをあげ過ぎてたかもな、、 でも良いと思ったところがやっぱりいいし、ある程度は仕方がない部分か
・やっぱり花火のシーンの映像としての感動はすごい。でも今回で一番ビビっときたのは、階段駆け上るシーンと空で手繋ぐシーンがすこ
・どこまでも色んな意味で(昔の)RAD的だなと思った。というのも前見た時より、(自分が成長してしまったからか?)より主人公のガキさが際立って見えた。細かく考えたけどやっぱり合理的な理由なく家出してたり、金ないのに徒歩50分かからない距離でバス乗ったり、須賀との序盤のやりとりなど。上で書いたことは世界に対し自分が影響力を持っていることを信じ抜くことができないとできない。これもなかなかすごいと思う。色んな面で少年期的なものが凝縮されてる点はやはりRADと親和性いいんだなって思う。公開当時、周りで主人公の軽犯罪性などを筆頭にイラついた的な意見を持つ人も多かったけど、ルールを守って少年性を抑圧している自分からみた衝動の現れなのかと昔考えてたのを思い出した。
・所持金5万で一泊28000で泊まってしまうことがあの夜の一夜性を高める
・大島さんの考察が割とずっと頭に残った状態で見てしまった。がまあ自分でもわかってたとおもてる()
・チョーカー、須賀の過去、主人公の家出、キャッチャーインザライ
・ホテルで一度、無意識に陽菜より世界を選んでしまった帆高がもう一度与えられた選択の機会で陽菜を選ぶ展開。タイムリープ的要素をプロットで実現。
・新鮮さは薄れたけどやっぱりかなり好きな部類の映画であるのは間違いないと思った。新エヴァに頭が乗っ取られてる状態であえて見てみたが、やはり?なんとなく比較せざるを得なかった。でも2時間でこれなんだから、という気持ち今は。またみよう〜〜、今回は色々考えて観た、書ききれない。