麟チャウダー

フォー・ハンズの麟チャウダーのレビュー・感想・評価

フォー・ハンズ(2017年製作の映画)
2.5
2人分の人生を生きているとしたら。その2人目の人生によって、自分の人生が上手くいかなかったら。っていうテーマ性から始まって、自分の中にいるもう1人との駆け引き、復讐、自由、執着からの解放、自分の人生、あたりのテーマで物語展開をしていく。これといって派手な展開はなくて、情報も出し渋るくせに大した意外性がなくて、全体的に普通だなって印象。あと、難しくて混乱した。

誰かのためにしていることも結局は自分のためにしている行動だったり、誰かのためを思っているようで実は自分の世界の中でしか考えれていなかったり。思い遣りって難しいなとつくづく思う。そして、行き過ぎた思い遣りによって…、生きていてほしい、死なせられないっていう強い想いによって…っていう物語。

辛い出来事の悲しみ方、乗り越え方、その先の人生の進み方って人それぞれ。何か大きな出来事があった後の人の行動は、きっと悲しみを乗り越えるための行動なんだろうけど、そこには表面上にはないその人の悲鳴が隠れている、っていうことに気付いてあげられたら良いのになって思う。
お互いが傷ついていたら、お互いの叫び声なんて聞こえないだろうし、でも第三者だと2人の悲鳴の裏にある想いには気付けないだろうし。難しい問題だなって思う。

これくらいは悲しんでほしくて、これくらいは罪悪感を感じてほしくて、これくらいは戦ってほしくて、っていう死んだ側の意見みたいな形で現れるのは面白い。相手の意見がこうなんだっていう気付きを描いていながら、自分の内側がこうなんだっていう気付きに繋がる、ある種のセラピー的な物語なんだろうなって思った。

あー、この展開がしたかったんだな、っていうのと、タイトルの「フォーハンズ」のアイデアを使いたかったのかな?って感じ。フォーハンズっていうのは連弾のことで、2人で1つのピアノを弾く演奏形式っていうのをこの映画きっかけで知った。

アイデアは良いと思うんだけど、アイデアに物語性を持たせるための部分でドタバタして時間使った割にはそこが弱くて、肝心の面白いアイデアの深みが出ずに終わってしまった感があった。

最後の頷きは、終わりにして自由になろうという意味なんだろう。で、自分の人生を、自分が死ぬのを受け入れるのと、自分が生きるのを受け入れる、っていう重要な意味のある場面なんだろうと思う。

「どちらの君か分からない」と言われて首を横に捻る、ここでタトゥーを確認しようとしたのかな?でもしなかった。それが答えで、どちらでもある、という生き方をするってことなのかな?
ひとつのピアノを2人で弾く、ひとつの体を2人で生きる。エディ・ブロックとヴェノム的な。
私たちは、私たちの区別を必要としない。姉を生きてるのであり、妹を生きてるのである、という描き方がしたかったのかな?
身を守るのではなく、想いを守るっていう風に考えられるようになったのかな。



誰かのための人生ではなく、自分の人生のために目覚めないと、と思わされる物語だった。他者への強い想いによって自分の現実が歪んでしまっていないか、気を付けないとなって思わされた。
他者のために自分を動かすのは、他者に縛られているし、そこに自由はない気がする。他者が外側ではなく、内側にいるという特殊な設定でこの問題に向き合うのは面白かった。

承認欲求だったり、自己顕示欲だったり、っていうものに振り回される戒め的な見方もできるかな。

自分の周りの人、家族、友人、彼らの期待や理想に応えるために生きている人々。それだけじゃなく、社会の期待も背負っているから、この物語のように2人分の人生ではなくて、何万人分の人生を生きていると言えなくもないのかも。そういう見方をすれば、たった2人分の人生だけを生きるこの主人公は、ある種の悟りの境地なのかもしれない。そう思うと、きっとこれは2人にとっての幸せ、なんだろうなと思う。

自分のために生きてない人だったり、自分の意思で生きてない人だったり、そういう人の見る現実は歪んでいるんだろうなって思う。現実が歪んでいるか、もしくは自分というものが歪んでいるんだろうなと思う。
歪んだ現実からも、歪んだ自分からも、幸せは見つけ出せないだろうから、自分が背負うべきものだけを正しく背負って生きられたらな、と思った。
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