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王国(あるいはその家について)のaymelloのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

小さいスクリーンサイズで驚いた。上映後のトークで知ったのだが元々映画ではなく映像作品として撮られたものらしい。そう思ったら見られたかもしれないが、映画として真正面から向き合ってしまったせいで、粗野な画と音から鑑賞の楽しみを見出せずに戸惑った。

「役の獲得によって変化していく身体」を捉えているということだが、最初の印象としては、ストレートプレイの稽古って要するにウソをつくのが上手くなるっていうことなんだなぁという怖さがまずあった。稽古においてさまざまな分岐を試している中でもしせりふが、体の準備ができる前に口をついて出るようになればそのとき完成するのかな、と思った。

ただ仮にそうだとしても、出演の三者は役の声(セリフ)の獲得においては最初から変わらないか、一進一退を繰り返しているように見えた。編集によって時系列が入れ替えられているのかもしれないが、だとしても意図がよくわからない。少なくとも、彼らが台本を手放して以降、こちらに見てとれる変化はほとんどない。

というか、たぶん身体に変化は起きているのだが、こちらはひたすら役者の顔のドアップを見ているのでわからない。正方形に近いスクリーンにほぼ余白のない顔のアップが映っていて、その顔筋はろくに動かず、観ていて楽しみを見つけようがない。その声の変化をもって身体の変化を見るなんてことは、できるはずがない。

アフタートークで監督が「撮影中、カメラは撮影監督に任せて自分はずっと俳優の身体を見ていた」と言っていた。なるほどそうであればこの映像を見ていても、当時見た光景をスクリーンの外に補っていくらでも面白く感じられるだろう。

いわゆる映画であれば、達者な役者はろくに印象に残らないのだが、今回は足立智充さんの喋りに救われた。何度聞いても正確に同じ意味を示すセリフに安心した。作品のスペックに沿ったパフォーマンスをしていたからだ。笠島智さん、特に澁谷麻美さんのセリフにはつねに違う意味へ分岐していくような危うさがあった。それも面白い体験なんだろうけど、じゃあもっとそれが起きてるからだ全体を近くで見たかったわ!!という苛立ちがある。顔の映像を添えてなんだか音楽みたいに聴かされて、たまったもんじゃなかった。

一瞬だけ「映画」っぽくなっていた外のシーンがあったが、抑制されたような室内稽古のシーンに挟まれると急に演技過剰に見えてしんどかった。そういう揺さぶりなのか?だとしたら面白いかも、と思ったがその後また稽古のシーンだけになってそういうことでもなかったみたいだった。悲しかった。

みんな結構寝てた。私も頑張ったけどなんかもうすんごい同じとこ繰り返してたところで5分くらいは寝た。
隠されたストーリーが載っているのでぜひパンフ(脚本)を買ってくださいっていうのもよくわからなかった。
劇場の中で叫ぶのをなんとか我慢したので、ファミマでピザまんを買って食べながら帰りました。おもしろかった。
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