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イン・ザ・ハイツのみきちゃのレビュー・感想・評価

イン・ザ・ハイツ(2021年製作の映画)
4.6
映画『ナイブズ・アウト』の開始早々、移民の看護師マルタを演じた中米キューバ出身女優アナ・デ・アルマスがスロンビー邸にやって来て、彼女を一目見た白人警官が使用人だろうと決めてかかり、マルタと親しい孫娘をイラッとさせる一幕がある。『イン・ザ・ハイツ』でスタンフォードへ進学したニーナがルームメイトと揉めたエピソードと同じく、米国におけるラテン系人種がどう見られがちであるかを端的に説明する大事な場面。

米国のワイナリーだらけのエリアに住んでいたとき、ブドウ畑で働いているのはみんなメキシコ人だった。彼らは、米国における人種分類で言うなら、ヒスパニック系のなかのラテン系のなかのメキシコ系。大くくりのヒスパニック系は今回は置いといて、米国にいる「ラテン系」のステレオタイプは、米国人がやりたがらない仕事を低賃金でこなし、英語はろくに話せない、貧困層の人々。米国は移民が比較的暮らしやすい国だとは思うけれど、差別など厳しさだって勿論ある。

『イン・ザ・ハイツ』は、ラテン系の中のアフロラティンクス達の物語だ。アフロラティンクス(アフリカ系ラテンアメリカ人、つまり米国在住の中南米出身の黒人)はすでに米国人口の20%ほどをしめており、今後さらに増える見込み。有名なアフロラティンクスには、マライアキャリー、クリスティーナミリアン、キャットデルーナ、カーディB. 、ルピータニョンゴ、アレックスロドリゲス、ゾーイーサルダナ、サミーソーサ、テッサトンプソンなどがいる。無論アフロラティンクスかどうかは個人のアイデンティティの重要要素でもあるから、御本人が「私はアメリカン」との認識ならアメリカンだし、「俺はアフロラティーノ」との認識ならアフロラティーノということで善いと思う。

この映画の舞台であるNYのワシントンハイツには、アフロラティンクスの中のドミニカ系が多く住む。NYで言えば、他にはプエルトリコ系も多い。

生誕の地、育った地、流れる血。日本人の場合、この3つがすべて「日本」になるケースが圧倒的に多い。こんなことは米国ではほぼ起こらない。アフロラティンクスの一例を挙げるとすると、アフリカから中米のドミニカ共和国に奴隷として連れてこられたアフリカ系黒人が、ドミニカで結婚して、夢を追って家族で米国へ移民する。親はスペイン語を話すが、幼い子供達は米国での記憶しかなく英語を話す。子供達は来歴的にも見た目的にもアフロラティンクスということになるけれど、本人は米国人だとの認識でもおかしくない。そして、周囲からの扱いや、親の気持ちや、自分の認識でズレがあって、自己を確立するまでに何度も悩む。

本国では『イン・ザ・ハイツ』のキャストにアフロラティンクスが少ないと本国で炎上していて、いつもは(いちいち騒がんでもー)と思うほうなんだけれど、今回ばかりは騒ぎたくなる気持ちがわかった。キャストはみんな素晴らしくて、歌も上手いし楽曲も良くてちょうアガったし、終始めちゃくちゃ楽しかった。でもパッと見ラテン系のキャストばかりで、ラテン系の苦労話を明るく逞しく描いた映画という印象しか残らない。ヒスパニック系のなかの細かい分類をナメてはいけない。大学の同級生のブラック女子は、付き合っていたアフロラティーノくんの両親に交際を反対されて泣いていた。あのご両親からすると、純黒人の彼女は自分達よりも下で、息子には格上の人種と結婚してすこしでも楽な米国ライフを送ってほしいと願っていたらしい。アフロラティンクスは、マイノリティのなかでも酷い差別に合うことが多いラテン系であるうえに、米国で虐げられ続けてきたブラックでもあるからこそ、余計に複雑。だから例えばマライアキャリーなんかは、ハリウッドで舐められないようにめちゃくちゃワガママを言う。ラテン系のジェニファーロペスも同じ。ハリウッドの第一線で、自分の価値や評価があがることでラテン系全体のイメージもあがるようにと人種を背負って頑張り続けている。

とても元気をもらえるめちゃくちゃイケてるミュージカル映画だったからこそ、キャスティングの際には歌が上手いとか美人だとかそういうことを差し置いて、アフロラティンクスな見た目や生い立ちに拘りまくってほしかったと思ってしまった。そしたらもっと感動の輪が広がって、ラテンパワーが高まって、今年のアカデミー賞でも名前を聞ける作品になれてたんじゃないかって、ノミネート発表を見ながら思ってしまった。
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