みきちゃ

オッペンハイマーのみきちゃのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
5.0
"What do you want from theory alone?"

今年に入ってからずーっと、高学歴でソフトウェアエンジニア志望の、情報処理/電気工学/電子工学/物理学などの理系専攻の学生たちとばかり仕事をしている。彼らは一様に無邪気に「I want to make a change to the world」とか「I want to make a world a more convenient place to live」といったようなことを言う。彼らが受けている講義内容や、実験、参加したインターンシップやハッカソン、卒論などを見せてもらうと、なるほどたしかにあなたたちがソフトウェア開発に携わることで世界を少し住みやすくなったりするかもしれないわとド文系の私は素直に思う。

賢い頭も、探究心も、技術力を高めるために努力を惜しまないことも、一生懸命働くことも、任されたプロジェクトを完遂することも、目標を達成することも、どれもこれも称賛される事柄であるはずなのに。それなのにどうして。

申し立ての聴聞会で人生を回顧するオッピーと共に彼の人生を追体験して、モノクロのストローズ視点はあるけれども、カメラはとにかくオッピーの顔に寄っていて、R-18指定ってまさかそっちだったんですかっていうインティマシーも入れ込むことで、これはオッピーという人の極めて個人的な物語なんですっていうことが伝わってきた。心情を言葉で説明したりしないノーランの俯瞰性と倫理観のおかげで、人類史に大きく関わることになってしまった男の物語をある程度追体験できたかもしれないと鑑賞直後の現時点では思える。耐えられんよな、普通耐えられん。ヒロシマ・ナガサキのビデオを直視することが出来ないオッピーの姿。幼稚だった理論物理学オタクが政治に巻き込まれ利用され捨てられることで色々得たり失ったりして、あれやこれやもなんとか飲み込めるくらいにはぎりぎり大人になって、成功も汚名も背負って有名人として生きる姿。

日本軍が戦争で何をしてきたかが明確に分かる映像を見た記憶がない。文章では読んだことがあるけれど、映像だと刺激が強すぎて地上波テレビで流せるものではないだろうし、学校で教材として見せられたこともない。自分でそういう資料を探そうとしたこともない。でもアウシュビッツの様子は見たことがある。ヒロシマ・ナガサキも。要するに、被害者であるときは、どれだけのことをされたかを伝えるものなんだろう。米国でも3.11の映像は何度も何度も見かけて、メディアはしつこく嘆き悲しんでいて、私はそれを冷めた目でしか見れなかった。君らこれまで世界中で何やってきたか考えて?仕返ししたい人らもそらおるやん?てか死者数もぜんぜん少ないやん?という気持ちだった。被害者が悲しみを増幅させることは難しくない。忘れずにいようと行動することは1つの美学でもある。でも加害者になったら、忘れたい。振り返りたくない。深く知って自責の念を強めたくない。それがごく一般的な人間らしさじゃないだろうか。後悔していればいるほど、被害者側の状況を詳細に知ることはしんどい。オッピーのあの人間らしい姿を見れて良かった。米国としては、このレベルで原爆を落とした国であることを振り返って語るのは初めてなんじゃないかと思う。高校の分厚い米国史の教科書で、ヒロシマ・ナガサキがたったの2行で終わってるのを見たときに受けた衝撃。あそこから今日までずーっと続いていた違和感が、この映画をみてやっと無くなった気がしてる。真っ向原爆を描いていた映画なら、その知識ゼロに等しい米国人は視聴に耐えなかっただろうと想像する。ノーランがこの角度と距離感で描いたから、これをきっかけに米国人は知識を深めていくことになるはず。

それにしても当時の米国のあの病的なまでの赤狩りってマジでなんなんだろう。米国で米国史を学んでも、住んでも、いくら映画などで見かけても、結局その恐怖の真髄が私にはよくわからない。原爆よりも赤狩りのほうが大事であるほど赤が怖かったてことやん、、、。FBIの監視っぷりに、うーわ出たよフーバー長官…ってなって、ほんとこのあたりからしばらくの米国史は闇エピソードが止まらない。そんなこんなを超えて、ラストのエンリコ・フェルミ賞授賞式でのオッピーは、幸せそうとは少し違うように見えたけど、でも笑顔で描かれていた。

マット・デイモン将軍とのシーンが全部ツボ。ヘッドハンティングの場面の会話は神。親友っぽい立ち位置のラビさんは、出演シーンがもっと多かったら助演男優賞ノミネートだったと思う。あの含み続ける表情はすごい。トルーマン役が誰なのかぎりぎり気付けた。 めっちゃ化けてたなー。そしてグスタフのほうのスカルスガルドと、ジョシュ・ハートネットもいまやレアキャラ。うれしかった。ケイシーのほうのアフレックとマット・デイモンの共演もよかった。あとはラミ・マレックはすぐ爪痕残しがちでデイン・デハーンはなかなか爪痕残さないがち。アインシュタインとの会話とか、どこまで事実なのかわからないけれど理系レジェンドたちが次元の違うこと喋ってるーーってわくわくした。

ロスアラモス国立研究所で実験が成功した夜明けに涙した。ユダヤ人の血が流れていることを受け入られていなかったオッピー。構図としては、ユダヤ人を迫害しているナチスを止めるために、祖国アメリカへの愛もあれどそれよりなによりナチスを世界の勝者にしないために、そしてもしかするとユダヤ人同胞を救うためにも、莫大な国家予算と年月を費やした失敗の許されない超弩級のプロジェクトを率いてきて成功をおさめたオッピー、ということ。そりゃああの喜びになるし、ロスアラモスの面々にとってはそこでハッピーエンドでも良かった。でも、プロジェクトの内容からしてそうなれるはずがない。どっちにしろ泥試合。無差別殺人兵器の開発に関わった時点で地獄まっしぐら。どんな惨状を引き起こす可能性があるかまでシミュレーションしつくしたうえで開発を始める前からやめろとでもいうのか。キツすぎる緊張感からの開放もあり、実験を成功させた彼らの歓喜と達成感と、これはホッとしてはいけない成功なんだという事実との狭間に突き落とされて、泣いた。

この映画をきっかけにして、もっと学んで、自分なりの考えを持ちたい。手始めにオッピーが亡くなる1年前くらいのインタビューを視聴した。思慮深さがあり、悩みながら言葉を選びまくってでもインタビューに答える姿勢が貫かれていて、何一つ過去のことにして終わらせていないのに、病魔にやられるまでずっと生き続けていてくれてありがとうと思った。

褒めてばかりもなんか癪なので1個ケチつけるとすると「JFKへの匂わせ、いる?」なんだけど、これはこのあたりのサスペンス演出が強かったことで私が勝手にストローズの性格的につぎはJFKを恨み続けて暗殺計画を企てるのかなとか思っちゃっただけで、オッピーのフェルミ賞授賞を承認したのはJFKだよっていうことを忘れないように念の為差し込んどいたのかなと思える気がしてきたからケチつけるほどのことでもないらしい。

今回はドルビーシネマを選んで鑑賞。9割どころか、もっとかな、ほぼ会話劇なので、音はすさまじく良いけど、でも特にDOLBYやIMAXでなくても良さそう。とにかく集中して見るに限る物語運びと演出ではあったので、映画館で観てよかった。予習必要との声がたくさんあったけど、こないだ観たDUNE2のほうがよっぽどチュートリアルが必要だしめちゃくちゃIMAX案件だったし。オッペンハイマーと公開が近くなってしまったことでDUNE2のIMAX上映枠が減るのがもったいないーーわーわーわー
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