touko

ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜のtoukoのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

※講義のレポート用に作成した文章をそのまま載せています

この映画のテーマは黒人差別である。黒人差別を描いた映画は今までにいくつか観てきた。たいていは黒人がひどい差別を受けながらも必死に生きていくシリアスな展開になることが多い。しかしこの映画はそうではない。黒人差別という重いテーマを扱っているにも関わらずコミカルでテンポが良く、とても観やすい作品になっている。黒人差別は日本人にとってはあまり馴染みのない問題であり、日本人である以上知る必要のない実態なのかもしれない。しかし、私はこの作品を観てよかったと胸を張って言える。

舞台は1960年代のアメリカ南部ミシシッピ州。主人公の白人女性スキーターは大学卒業後、作家を目指して故郷であるミシシッピ州に戻ってきた。幼いころに黒人メイドのコンスタンティンに育てられていたこともあって黒人差別が根強く残るミシシッピの人々の態度に違和感を覚える。このままではいけないと感じたスキーターは差別の実態を本にして世間に伝えるために、ミシシッピの黒人メイドたちに取材をすることを決意する。自分の身を案じて最初は取材を受けることを拒否していた黒人メイドたちだが、日に日に激しさを増す雇い主からの差別や、不当な扱いに憤慨したメイドたちはついに取材に応じる。こうしてできた一冊の本“the Help”はミシシッピ州の黒人差別の実態が語られた初めての本として全米で話題となる。この本で自らの経験を語ったことで黒人メイドのエイビリーンは雇い主の友人で生粋の黒人差別者であるヒリーに脅迫される。しかしエイビリーンは脅迫に恐れおののくことなくヒリーに立ち向かう。家から追い出され、メイドとしての仕事を失ったエイビリーンだが、去っていく彼女の後ろ姿は差別に屈することなく闘い続け、そしてこれからも闘っていく勇気と強さで溢れていた。映画のタイトルにもなっている“Help”とはこの物語の中で差別を受ける黒人のメイドたちのことを指している。彼女たちの差別に屈することなく逃げずに向き合っていこうとする姿勢が前面に押し出されて描かれていることから、白人の差別行為がよりいっそう悪質で憎悪に値する下劣なものであるように思われ、改めて差別というものはどの時代にもあってはならないものだと痛感させられた。

1960年代のミシシッピ州といえば、黒人による公民権運動が盛んに行われており、他のどの州よりも差別による社会的な遅れをとっていた時期である。映画の中でも、クー・クラックス・クラン(KKK団)と呼ばれる実在する白人至上主義団体によって黒人が殺害される事件が起こり、黒人たちがおびえ逃げ惑う様子が描かれている。さらに、1876年から1964年にかけて実際に存在していた黒人隔離(ジム・クロウ)法という法律によって差別が行われていた実態も描かれている。この法律では、例えば、白人女性の看護師がいる病院に黒人男性が患者として立ち入ることや、学校で白人と黒人間で教科書の貸し借りをすることを禁じている。中でもこの映画のストーリー上で最も重要な法律がある。それは、出版物等で黒人が社会的平等を奨励することを禁じるというものだ。つまり、映画の中で黒人メイドが差別の実態を語り、それを本にして世に送り出した一連の行為は犯罪にあたるのだ。何にもとらわれず自由に自らを表現することができる現代に生まれ育った私にとって、つい50年前までそういった行為が許されず、むしろ犯罪とされていたなど想像もつかない。自由を奪われ迫害を受け、それでも必死に生きていく“Help”の人々の姿に心を打たれ、自分がいかに恵まれた境遇にいるのかということに気付かされた。

この作品を通して私が学んだことは、黒人差別の実態、そして立ち向かう勇気である。人生において逃げ出したくなる苦難に直面することは誰にだってあるだろう。私自身、何度もそういった場面に遭遇してきた。今までの自分であれば、考える暇もなく逃げ出していたかもしれない。しかし、映画の中で“Help”の人々は危険を承知で不条理な世の中と立ち向かっていた。最後に決してハッピーエンドが待っているわけではない。むしろ以前よりもさらに厳しい現実が待っているかもしれない。だからといって何もしなければ何も変わることはない。今の自分に逃げるという選択肢はない。ただやってくる困難に立ち向かうだけだ。“Help”のように強さと勇気をもって何かを変えようという気持ちを大切にしながら日々を過ごしていきたい。
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