べし酒

システム・クラッシャー/システム・クラッシャー 家に帰りたいのべし酒のレビュー・感想・評価

4.0
なんか「つまるところ大人や社会が悪い気の毒な少女」って括りだけでまとめられない感じがして。

原因が過去の彼女に対する大人の行動にある前提で、社会が彼女にどう向き合って矯正していくのかと。みな彼女のことを愛して気の毒に思い、精一杯良かれと思う行動で接しているんだよね。
でも愛情を注ぐ結果、自分周りの人生に負荷がかかり過ぎて対応しきれなくなると。
じゃあ無私の愛を注げるのは親だけだよねという話でもなくて、親の責があることは当然としてもシングルマザーただ一人に任せきれる案件でない様に描かれていると思う。

子供に対して社会は愛情を示し続けなければならないということを当然としながらも、予測を超えた反応をしてくる個体もいた時にじゃあどうする?という話なのかなとも。

終盤で顔触りのトラウマに対する一つの希望を見せつつミヒャの家を飛び出させての「死亡確定の鬱エンド」は嫌だなと思ったが、ちゃんと生きていてからの何も変わらず自我を貫き通すベニーの力強さを描くラストに不思議な爽快感を感じて、大人社会の理屈に無理矢理合わせた矯正を考えること自体が無理ゲーなのかなと思ったり。結局どうすれば正解なのかは分からないんだけど。

今時の作品のコンプライアンス縛りを気にしないのかなと感じた男性成人と少女二人きりの合宿生活に対しての自家言及的展開が、カウンター的に活かされる辺りも面白いなと思った。

安易な答えを提供しない作品として好きだなあと。

【追記】
「親が悪い」ということは劇中に登場する大人の誰もが思っていることで、ただそういう親がいて変えられない現実があり、社会としては子供を守る必要性がありそれを生業としているからこそ精一杯の手立てを尽くしている。

ただ9歳のベニーがそんな大人の事情を考慮できる訳もないししなければいけない必要性もない。でも彼女の暴力性には看過できない危険性もある。といってあきらめて見捨てたら野垂れ死んでしまう。じゃあどうしたらいいのかって話だよね。

劇中で検討されていた閉鎖病棟に入院というのも一つの手立てとしてあり得るし、結末として描かれたケニアでの生活もどうなるのか分からない。

その中で一つだけ救いの要素があるとしたら、ミヒャの子供に顔を触られてもベニーが切れなかったことかと。偶発的や受動的ではなく主体的に受け入れることに対してはトラウマが呼び起こされないという描かれ方がされているのかなと。
それは彼女が成長して周囲の状況を受け入れることができる様になる可能性はあるということなのかなと。

最終盤であくまで自己の気持ちを貫き空港のロビーから外へと飛び出す彼女の姿に少し爽快感を覚えたのは、大人たちの思惑や考えを越えてただただ生きていく力強さを感じたからなのかなと思った。
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