Kana

スキャンダルのKanaのレビュー・感想・評価

スキャンダル(2019年製作の映画)
3.0
多くの人が目を逸らしてきたセクハラ問題を白日のもとに晒すため、権力に立ち向かい、立ち上がった女性たちの葛藤の物語。
そして、性差別とは何か、改めて考えさせるお話。

セクハラ問題やフェミニズムを訴える映画は他にもある。
けれどその映画の多くは、どれだけ悲惨な目に合ったか、どれだけ被害者が傷付いたかという部分にクローズアップされる。
それはとても悲しい事件だし、そんなことが二度と起きなければいいと思う。
だけどそうした映画が、偏った考えを世界に流布しているようにも感じる。

嫌な目には合ったけど、傷付かなければ被害者じゃないのか?
ムカついた、イラっとした、不快だった、この程度で声を上げるのは大袈裟なのか?
コミュニケーション能力は仕事において必要なことで、多少嫌味を言われようが、飲みに付き合わされようが、それで上手く回るなら安いもんだし、物事を穏便に進めるため、空気を壊さないため、笑顔で切り抜ける、「やめてくださいよ〜」なんて冗談めかして…。
だけどそれは、どこまでが正しいことなのか?

この映画には過激な性暴力のシーンはほとんど出てこない。
なぜならそれは重要じゃないから。
性犯罪や性暴力と、性差別は別だということ。
それを伝えるために、立場も経験も能力も違う3人の女性を主演とする必要があった。

肝心なことの多くがアイコンタクトだけで伝えられるので、メインキャストの演技力が光ります。
シャーリーズセロンはかっこよすぎるし、マーゴットロビーの声を押し殺した心境には胸が痛みました。
メーガンがスタッフに「言葉で伝えなさい」と言ったのは、言葉には責任や覚悟が伴うから、という意味なんだろうな。
そして3人やその仲間だけでなく、訴えられても夫の肩を持つ夫人、世話になったでしょ?と圧力をかけてくる上司、最後まで彼を支えるのもまた女性であるということ。
好きでもない男にセクハラされて喜ぶ女性なんていないはずだし、そんな男は最低だと思う。
だけどそれだけでその人の価値が決まるわけでもない。
それもまた一面でしかないということ。
メーガンの、私は彼が好き、という感覚がまた複雑で切なかった。

社会に出て働く限り、セクハラされたことのない女性なんていないんじゃないかと思う。
中年の上司は「今時は何でもかんでもセクハラと言われるから難しい」なんて愚痴るけれど、その判断が難しいのは被害者も同じ。
私は不潔だと泣いた彼女が、どうして声を上げなかったのかと他人を批判する悲しさ。
それがこの問題の根深さで、ただ勝てば終わりじゃないということ。

最後のシーンは本当に象徴的で、共に戦っても声を掛け合うことすらなかったり、写真を引出しに戻す彼女と、去って行った彼女。
社会全体が変わらない限り、永遠に続いていく。
権力を持つのは男性が多いのが事実だけれど、女性だけがセクハラ被害に遭っているとは言えない。
誰もが被害者にも、加害者にもなり得るということを考えなきゃいけない。
Kana

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