まあまあ。
異様な状態に若者が足を踏み入れるというホラー映画では良くある作品だが、
村の風習を題材にすることで、いきなり言葉の通じない人のところに放り込まれた気持ち悪さがうまく表現されている。
しかし、ストーリーはその異様さを受け入れる主人公の構造しか見えず、大衆性はない。
その上で、この作品に対する気持ち悪さとして、今の社会的価値観との相違がある(生贄など)、しかし、村の人々は疑問を持つこともなく、逆に祝福している。
これに対し、作中で神や自然に帰るなど引き合いに出されるが、
野生の動物が生存のためにコミュニティを作ることはあっても、自殺を促す、生贄など行うことはなだろう。(イルカが自殺するなどの例もあるが)
このことからも、動物として見た時の人間の神を作りだし崇める発達しすぎた知能による異常性を感じるが、
この作品では、生贄を連れてきた人物が評価されたり、友人が生贄にされたりと、前提の崇拝だけでない気持ち悪さがある。
人々がコミュニティを作るにあたり、神とは神の上に人を作らない口実でしかなく、神の下には最終的に権力が渦巻く。
神や風習を守ることを口実に、正当化される殺人とそれが守られ続けていることで徳をしているであろう権力者がいることは確かだろう。
神のもとに平等を謳い、不平不満を神でぼかす。
この作品は、コミュニティという小さい枠組みの中での決まりは外から見ると異様で気持ち悪いものだ、ということが言いたいのだと思うが、
これはブラック企業などにも当てはまる。社内ルールや長時間労働、そこで出る犠牲に目が曇り、また、小さいコミュニティで権力闘争をする。
そうなった時、当たり前や常識を疑える時に疑う、異邦者の目線が必要だと思う。
辛くなったら、逃げたらいい。この村では殺されるかもしれないが、今の日本において会社を辞めて殺されることはないのだから。