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ミッドサマーのMUAのレビュー・感想・評価

ミッドサマー(2019年製作の映画)
3.8
前提として、とても面白かった。しかし「ホラー」として物足りなかった部分があるのも確か。ホラーで得られる面白みとは何か考えたが、結果的に主人公(視聴者と同じ価値観を持つ者)が異質な人物・シーンと遭遇した衝撃に対する混乱や慟哭をその異質にぶつけ、回避や戦いを仕掛ける事で得られるカタルシスなどが視聴者に対する面白みとして還元されるか否かではないかと感じた。最終的な結果は異質に対する勝利でも、敗北でも、もしくは異質に染まってしまう、でもいい。とにかくその過程の中で、全く違う価値観の世界との遭遇に対し、死という極限の”敗北”を掛け生存する事を選ぼうとする=そもそもその考え自体が異なる価値観であるという人生史上最大の異物に触れた時の言動、行動に対して視聴者は興奮や関心、楽しみを見出そうとするのではと。
この映画にはそれをあまり感じられなかった。あまりにも外部の彼らが異質すぎて、気づいたら戻れないところまで飲み込まれており、抗う隙も無かった、という印象である。それはそれで非常に怖い、というか一番怖いのだが、「刺激」という意味では、まるで唐辛子の痺れに慣れてしまった舌の様に鈍く感じた。
・・・そもそも、その時点で完璧に主人公と視聴者は”異質な者たち”に対して絶対的な境界線を引いている(ジャンルは違うが、境界線、という意味ではブラピのセブンも同様だ)。これは視聴者、というか一般的に今ここで暮らしている大体の人間ならばそうであろう。これを「私たち」と置き換えた時、私たちにとってのホラーと、「私たち」ではない一定数の人々のホラーというジャンルは異なるのである。「私たち」ではない者にとって、この映画はもはやホラーでもなんでもなく、もしかするとヒューマンドラマに近いジャンルなのかもしれない。
ホラーとは、己の価値観を、生命を掛けて強制的に変えざるを得ない状況に置かれてしまう瞬間をいうのだと思う。己の価値観に沿って命を落とす時、それはホラーとは言わない。むしろヒューマンドラマだ。病で短命となった者が、その死ぬまでの過程に焦点を当てた時、たちまち温かいドラマとなり観るものを感動させる。しかしホラーは、同じ命を落とす結末にあっても、その過程は”強制的な価値観の変更あるいは強迫”がつきまとう気がする。
この、どのような「過程」を経て命を落とすストーリーか、と見たときに、この「過程」に対する価値観が観るものと同じか・あるいは異質かでこのストーリーはヒューマンドラマか、あるいはホラーかに分かれるのでは?と・・。
いずれにせよ、ホラーとは価値観を揺さぶるものであると私自身に気づきを投げかけてくれたこの映画はとてもよかった。
個人的に、パニックで泣き喚く主人公ダニーの荒い呼吸を真似、彼女自身のパニックを鎮火させようとしたホルガの女性たちのシーン。ダニーの言動を真似るという「鏡」の役割を受け持ち、ダニー自身もその「鏡」を観る事で共感してもらったという”絆”を確信する、かなり重要なシーンだと個人的には思う。これは女性ならではなのかもしれないし、彼女たちにとっての共感の仕方が異様すぎるが、これは側から見ると共感というより、ダニーがダニー自身の言動を冷静に・かつ客観的に見れるような役割を彼女たちが受け持ったのでは?と思う。これは心理学的な事に繋がらないだろうか?(調べ中・・)
つまり、一概にこれは「異質な言動による共感を示した行動」とは言えないのではないのかと。心理学的に、「鏡」という役割を当てがった瞬間に正しいと言える行動ではないのかと。個人的な妄想ですが・・・。
しかしこのシーンは非常に勉強になりました。よくわからないですがめちゃくちゃ強い印象です。
観賞後、町山氏の解説聞いて芋づる式にいろいろな映画を知れたのであとで絶対にみよう・・・
いい映画でした
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