耶馬英彦

82年生まれ、キム・ジヨンの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

82年生まれ、キム・ジヨン(2019年製作の映画)
2.0
 大江健三郎の「遅れてきた青年」には、戦後復興のパラダイム一色の窮屈な社会に倦んで、戦争で華々しく死にたかったという青年の鬱屈が描かれていた。当時の支配的な考え方といえば男尊女卑と学歴偏重、封建主義であり、本作品の状況と似ている。
 戦後復興のパラダイムのわかりやすい例が「海援隊」というバンドが歌った「母に捧げるバラード」という歌で、とにかく働け、遊びたいとか休みたいとかいっぺんでも思ったら死ね、それが人間だ、それが男だという凄まじい人生観が肯定されている。
 主人公キム・ジヨンは女であり、現在は妻であり母である。妻はこうあるべき母はこうあるべきという、いわゆる良妻賢母の思想が未だに支配的な社会に閉塞感を感じている。儒教に三従の教えという女性向けの人生訓があって「家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従え」という内容だ。女性の自立とは正反対の考え方で、本作品では未だにこういう考え方が支配的である様子が描かれる。
 現在の韓国が実際にそういう社会なのかは不明だが、自由に生きていきたい女性にとっては腹立たしい考え方であり、喜んでこの考え方に同調している年配女性が鬱陶しい。しかし自由に生きるためには経済的に自立しなければならず、苦しい人生が待っている。楽をしたい女性は自由を投げ出して良妻賢母を演じれば衣食住には困らない。そうやって暮らしている内に、いつしか考え方も封建的になる。自立を諦めて自由を投げ出した自分を正当化するためには、社会の封建的なパラダイムに同調するしかないのだ。
 ジヨンにはその全体構造が見えていない。だから人の言うことにいちいち動揺する。腹を立てたり、反論を考えたりする。だが家族や親戚の前では、良妻賢母の思想に身を屈めなければならない。なお一層のストレスが積もるから、ジヨンは心に鎧を被せて人格を守ろうとする。その憐れな様子がいくつかのシーンで繰り返される。

 観ていて息苦しい作品である。ヒステリックで暴力的で哲学がない。だから議論がなく、代わりに思い込みと決めつけがある。わずかにグループ長の女性の言葉に客観的な考察が感じられたが、その部分が怖い女として片付けられてしまう。封建主義は「由らしむべし知らしむべからず」である。自分で考える人間は社会の敵なのだ。だから社会に盲従する人間にとっては怖い存在なのである。
 最後はカウンセラーによってジヨン個人の精神的な問題に矮小化される。ジヨンは偶々寛容で協力的な夫がいるが、そうでない女性には救われる道がない。なんともやりきれない作品で、運のいいキム・ジヨンの向こうに何万人もの運の悪いキム・ジヨンが見える気がした。
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