Solaris8

わたしは光をにぎっているのSolaris8のレビュー・感想・評価

わたしは光をにぎっている(2019年製作の映画)
4.2
富山からの遠征で11/24に富士山マラソンを走ったが、翌日振休にして東京で何か映画を見て帰京しようかと思っていると、祖父が富山県出身の中川監督の映画を新宿武蔵野館で上映していたので観て来た。

ネット上で中川監督へのインタビュー記事を検索すると少年時代、タルコフスキーやバルネットの映画などロシアや世界の映画を観て、タルコフスキーやゴダールのような難しい映画じゃないと芸術じゃないというイメージがあったが、大学生の時に友人からヒッチコックやジョンフォード等のエンタメ映画の芸術性を学んだと云う記事を見かけた。

インタビュー通り、監督の詩的世界観に、古き温もりや人情の味付けをした様な映画に思えた。タルコフスキーよりはストーリーを大事にしていて、映画には和の感性が有り、日本人には馴染み易く、古き温もりが破壊されても、主人公に希望が感じられた。

冒頭のシーンが撮影された野尻湖は富山から上京する途中に在り、新潟の妙高高原に近い場所にある。去年の4月に赤倉観光スキー場に春スキーに行ったがスキー場から野尻湖が見渡せる。帰りに野尻湖の水辺を観たくなって寄った事がある。雪も融けて早春を迎えていたが、誰もおらず、桟橋に繫がれていた観光汽船が微動だにしない静かな湖畔で、昔一時期話題になったナウマンゾウ博物館があリ、今は人も訪れなくなったナウマンゾウ博物館を観て帰ってきた。銭湯というと富士山で、映画を見た前日、富士山マラソンを走りながら富士五湖を見て来たが日本人はこの水辺の景色に癒される。

インタービュー記事の中で主人公が銭湯のお湯を触るシーンの洗礼としての水(湯)には、キリスト教徒が水を触る通過儀礼の様なモチーフがあったそうで、タルコスキーのノスタルジアにも蝋燭に火を灯し、広場の温泉を渡りきることが出来たら、世界は救済されるというシーンがある。詩人に有りがちなナルシズムという言葉の対語をネットで調べていると博愛という言葉がヒットする。

追記になるが12/15に、富山のJMAXシアターで中川龍太郎監督とのトークイベントとサイン会が在った。監督はTPOをわきまえ、気配りが上手な人だった。

野尻湖は監督が幼少の時に祖父に連れてきて貰った場所だそうでスワンボートに乗ったような話があった。しゃんとしなさいとか、ちゃんと終わらせるという言葉は自分も母から言われた記憶がある。そんな自分の母も亡くなり、今年が七回忌だった。姿形は何時か無くなっても言葉が残るとは短歌や詩の世界の事でもあり、街の再開発に限った話ではない。
Solaris8

Solaris8