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パラサイト 半地下の家族のプリウスのネタバレレビュー・内容・結末

パラサイト 半地下の家族(2019年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

まず、単純なエンタメとして面白かった。

日本の家族モノだと、父親がダメで貧しいと大抵父親への反発が全面にあり、それをいかに克服して分かり合うかという話筋がおおいけども父親への反発がないのは家族感の違いか、と思ったけども金持ちの社長一家の方は子供との摩擦みたいなのは普通にあったので、敢えて対比させてだのだろうか。持たざる者の方が血縁的な家族(や古い友達)など、よりprimitiveな共同体に自然と自我を重ねているという描写なのか。

ある人は「他者を無自覚のうちに抑圧していることに自覚的である必要がある」という投げかけを感じたというようなことを言っていたが、それはそうなのだろうなと思う。

持てる者は臭いものに蓋をしながら(その場合、ときに蓋を少し我慢して開けて発酵した臭みを抜き蓋の中にあるものに少しの空気=富を送ってやるという喩えが社会的な構造をあらわすことになるだろうか)、同じく持てるもの同士、ゆるやかな交友関係の中で絵に書いたような幸せを共有する一方で、持たざる者はprimitiveな共同体で連帯しながら、他の共同体と少ない富を争い凌ぎを削ることで社会が成り立っているとする。

そのとき、
他者を駆逐することでしか富が得られないことに向き合い、自らの手で清算をしようとした息子
妻を殺したのは文字通り目の前にいる家族だと捉えて復讐を図りつつ、妻(と自分)を簡単に捨てた相手には尊厳をかなぐり捨てて(というより尊厳を殺してしまい)全幅のリスペークトを寄せてすり寄る男
持たざる物である自分たちの生殺与奪を握り娘を殺し尊厳を奪おうとするのはこの社会の構造であり、その上にたつ持てる者に刃を向けない訳にはいかなかった父(ここが一番スッキリしたような気もする)
いずれも、その態度の選択を迫られるのは持たざる者なのではないだろうか。
(息子が目覚めた後、妹の墓を見ても、判決を受けても、刑事の話を聞いても笑うのは持たざる者には選択肢などないのだろう、という嘲笑。事件の話だけは笑わなかったのは、その中で父と自分たちは主体的な選択を行ったという切実さがあるから笑わないのじゃないかと思った。)

実際には、貧富に限らず同様な構図が場面が変われば立場も変わって存在しているのだろうが、そのように持たざる弱者の苦しみの上に幸福を得ている側はその構造に自覚的になり、また、自身はどのような構造=社会を望んで生きるのかということを考える必要があるのではないか、と言われているように感じた。

関係ないのだが、翌日やすいインド料理の店で一番安いランチセットを一人食べていたら、隣に幸せそうな2組の夫婦が座りカレーを囲んで談笑していたのたが、いかにもエスタブリッシュな装いや話題もさることながら、一方の旦那さんの声と髪型がパク社長そっくりだったのが鮮明に記憶に残ってしまった。
(あの金持ちそうな夫婦にとってあのカレー屋を訪れたのは安物パンティーセックスと同じようなものだったのかはわからない笑)
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