湯林檎

燃ゆる女の肖像の湯林檎のレビュー・感想・評価

燃ゆる女の肖像(2019年製作の映画)
4.1
まるで動く絵画。いや、そもそも邦題に”肖像”というワードが入っているだけあって絵画が一つの重要なモチーフになっていることは確かけども。。。

私の小言はこの辺にしておき、本題へ。

この作品は言葉だけで表現するのが結構難しい。
少し噛み砕くと、内容の受け取り方を個人の感性に9割委ねさせるような作風で言葉(台詞)だけではない画面のビジュアルやディテールの演出等で内容の要点を伝えているので何通りもの受け取り方が生まれかねない。
なのであくまでも私個人の視点と感性でレビューしたいと思う。

まず、本作は新たなLGBT映画の傑作として高い評価を受けているが個人的には監督は単に世間体を気にしてレズビアンロマンス映画を作ったわけではないと感じた。
万人受けするような作品にするならもっとポップでインパクトのある演出にするだろうし、何よりBGMとして音楽を多用するだろう。

じゃあ単なるLGBT映画に仕立てなかったと感じるのは2つ理由がある。
1つは舞台となるのがブルターニュの孤島ということ。もう一つがあまり裕福ではない平民たちを主要人物としていること。
つまり服装が質素で背景の物が少なく閉塞感が自然と出てくるからだ。
こうすることによって人間の欲(エゴ)や身体のコクがより露わになる。
絵画や写真で例えると、賑やかな繁華街の背景よりも真っ白な壁紙を背景とした方が被写体が映えるのと同じで。

次に、おそらく監督はこの閉塞感ある空間で当時のタブーである同性愛の物語を繰り広げさせることによって”人間の欲望の最高潮の一歩手前”を描きたかったのではないかと思った。
なんせ登場人物たちが皆淡々と会話していたし、マリアンヌとエロイーズが交わるシーンすらも表情がいまひとつ淡白だ。
超えては行けない一線があるからこそなんとも言えない表情だったのではないかと思う。



⚠️ここから先はネタバレを含むので注意


ギリシャ神話の詩人オルフェウスとその妻エウリュディケの物語が本作のキーとなっているのは非常に顕著に出ているし、このオルフェウスの物語を通して愛の本質を観客に伝えたかったのだろうと思う。
中盤の3人の会話のシーンが1番オルフェウスは冥王との約束を守ることよりも妻を愛していることを伝える方が大事だった、夫であることよりも詩人であることを選んだ、という趣旨の台詞が入り、それのオマージュかのように終盤の別れの際にエロイーズを振り返って幻で見た白い婚礼衣装のエロイーズを一瞬で目に焼き付ける。
そして、最後の再会ではエロイーズはマリアンヌの顔を観ることなくヴィヴァルディの協奏曲第2番ト短調 RV 315「夏」第3楽章を静かに聴き1人で想いながら涙する。
愛し合って生涯共に過ごすよりも互いの未来を尊重し、美しい想い出のまま2度と触れ合うことなく本来あるべき姿に戻るという宿命を神話の教えを具現化したのではないだろうか。


あと個人的には別れる前に小さな似顔絵を描いたページ数が28なのと、ミラノで聴いた音楽をヴィヴァルディの夏ということにしたのかが気になるのだけど分からないまま。。もしかしたらあまり深い意味はないかもしれないけど。。。


最後に正直な感想を言うと、ここまで色々と書いてきたわりに私はあまりこの映画にのめり込むことができなかった。
全体的にすごく良くできた映画だと思うし色々と賞賛を受けたのもわかるけど、多分この映画の魅力を半分くらいしか汲み取りきれていない気がして仕方ない。。。

単純に自分の感性や価値観にあっていないからか、自身が異性愛者だからこの手の映画に感情移入できないからかは分からないけども。。。

視覚(イメージ)で捉えて知識と感性で読みていくまさに”動く絵画“。

なんとも言えないまとめになってしまったけど、観て損をしたわけではないのでまあいっかって感じで(笑)
湯林檎

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