MM65

燃ゆる女の肖像のMM65のネタバレレビュー・内容・結末

燃ゆる女の肖像(2019年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

こんなにも視線が雄弁な映画があっただろうか... ラブストーリーとして非常に繊細で、全てのシーンが絵画のように美しかった。

ただ、美化とは少し違くて、例えば生理だったり、淡々と描かれる堕胎のシーン、あの堕胎のシーンをエロイーズが目を逸らさずに見つめ、マリアンヌに描かせたのは、あれが、女が自分の意志で(男性や肉親に強制されない形で)行う命の選択だったからかもしれない。親の選んだ男と結婚して、その子どもを産む、自分の力では避けられない将来への抵抗だったのかもしれない。

様々な年代の女たちが歌う、異様で怖いほど美しいコーラスは、ミッドサマーで主人公の悲しみに共鳴する女たちの叫びと少し重なるものがあった。
女しか知り得ない、命の営みの得体の知れない恐怖や哀しみの直感的な共有は、残酷だったし、だからこそ2人の精神的な結びつきも際立つ。

海が2人の心情に寄り添うように描かれることにほっとする。母なる海に囲まれたあの島だけが、彼女たちを許容してくれていたようにも見える。だからこそ、そこを出た彼女たちの視線が交わることはもうない。オルフェウスのように、振り返ってしまったらもう戻れなくなりそうな、最後エロイーズの強さと弱さの入り混じった泣き顔は胸に迫るものがあった。最初の別れのシーンで彼女は残酷にもマリアンヌを振り向かせるのに、最後の別れではそれができないのは、でも、仕方ないのだ。(今に比べて、この時代の、この関係がいかに世間から受け入れ難いものだったかを思うと、単純にマリアンヌを見つめ返してくれエロイーズとも思うことができない。子供の存在も示される中で、それはあまりにも残酷である)
最初の再会のシーンで映画が終わっていたら、ロマンチックで美しい親愛の物語としてもすんなり受け止めていたと思う。でもそこで終わらせず、最後の再会のシーンで交錯しない視線をしっかり観客に見せたのは、女の生きる厳しい世界について忘れさせないためかもしれない。


マリアンヌ役の女優さんを最近どこかで観た気がする、、と思ったらTARだった。TARの時も、視線がまっすぐで、それがすごく印象的だった。
女の画業の幅は狭いと語るマリアンヌに対して、TARについてのインタビューでケイトブランシェットが「女性の演じられる役の幅が増えた」と語っていた。作品を跨いだアンサーを、感じられてよかった。
MM65

MM65