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カイジ ファイナルゲームのsanbonのレビュー・感想・評価

カイジ ファイナルゲーム(2020年製作の映画)
3.1
脚本まで底辺にしなくてもいいのに。

今シリーズは、原作者が絡んだせいで悪くなるという特殊なパターンを繰り返す希有な作品と言えよう。

そりゃ、生みの親公認で上がってきた脚本にケチを付けられる人間などいる筈もなく、製作側としては立ち上がった企画がきちんと金にさえなればなにも文句はない訳で、作品のクオリティなど利益の前では二の次でしかないのだから仕方ない。

そんな今作で見え透いてしまうのは"傲り"という名の怠慢である。

確かに「カイジ」は今や歴とした一大ブランドであり、そのネームバリューに加えて「完結編」の三文字を謳い文句に打ち出せば、内容を度外視したとしてもある程度は売れてしまう"打算性"を予め秘めてしまっている。

その上でこの作品がやりたかったのは、ファンを喜ばせる事よりも、これまでのシリーズに携わった関係者同士の"同窓会"であり、内輪だけが悦に浸れる"モニュメント"を作る事に他ならない。

そんな今作を観てると、最近の高級ファッションブランドが脳裏をよぎる。

ネタに走ったかのようなアホみたいなデザインや、奇をてらって先鋭的になり過ぎた着こなし困難な商品が度々話題になっていたりするが、では何故そんな半ば馬鹿にされているような状態のものを、なんの負い目もなく堂々と生産ラインに乗せられてしまうのか。

その理由はただ一つ、それでも"売れるから"である。

何故なら、ファンからすれば商品よりもそれに付いているロゴの方が重要であり、それを収集する事自体がステータスなのだから、実用性皆無な奇抜さすらもそのロゴがあるだけで芸術品のように価値が昇華されてしまうのだ。

では、そんな商品からブランド力を奪ったらどうなるか。

確実に高水準な素材を取り扱ってはいるのだろうが、それだけを求めて使いづらいだけの高級品をわざわざ選ぶ人は果たしてどれだけいるのだろう。

そう考えると、結果は恐らく火を見るよりも明らかである。

そしてそれは、豪華俳優陣や人気の若手をふんだんに起用している今作に置き換えてみても同じ事が言える。

もしこれが、カイジというタイトルではなく、元より「藤原竜也」が培ったキャラクターでもなければ、そもそもがこの内容で封切りなど決して許されてはいない筈だ。

ともすれば、そんな今作が興行に乗っている理由は、製作側の傲りであり消費者に対する冒涜行為ですらある。

その位に、脚本が全くお話にならないレベルであった。

まず、前作から9年経過しているとはいえ、ほとんどのゲームが既出のものをただリメイクしただけというのは些か怠慢が過ぎる。

シリーズ通して見返した時の事など全く考えていないような模倣に次ぐ模倣は、これまた製作側の懐かしいと思ってもらえるだろうという傲りであり、百歩譲って懐かしのキャラクターを関連性無視で総出演させるのはいいとしても、前作でバズったシーンやセリフまで使い回すような態度は冷静に考えると決して看過はできないし、これのせいでまるで完結という名の総集編を見せられてるような感覚にすら陥った程である。

そして、ギャンブルを題材にした作品において"戦略性"を完全放棄しているのはちょっとあり得なさが異常というか、あまりにも運否天賦にメーターを全振りし過ぎであり、
"強運"と"ご都合主義"を履き違えてもらっては困るのだ。

普通であれば、導き出したい「結論」が前提としてある場合、それに必要な「要素」と「手段」を限られた条件下の中から模索していくという"逆算方式"なら話は分かるのだが、今作においてはそれがまるっきり逆なのである。

前提として「手段」が手の内にある状況が予め用意されており、それを実行するのに必要な「要素」が都合よく「結論」に導いてくれるという"加算方式"で物語が進んでいくから、最早なんでもありの状態なのだ。

例えば「ゲーム会場にある時計の進行を早めたい」という「結論」に対してならば、まずは「プロの時計師」という「手段」が既に仲間内にいる状態が物語上予め用意されたうえで「細工をしたい時計が不具合を起している」という「要素」が都合よく「結論」に結びついたりするのである。

これ一つならまだいいとして、今作ではそんな加算方式が全編に渡って用いられているのだから呆れる他ない。

他にも、カイジが唯一自分の持ち物として"あるもの"を賭けた「ドリームジャンプ」もそうだ。

"必勝法"があまりにも不確定要素にまみれている為、勝った時の高揚感など全く感じられないし、カイジが賭けたものの重みが全然反映されていない。

というか、今作でのカイジはそもそも身銭を切ってギャンブルに挑んでないから、まず成り立ちからしてつまらないのだ。

これでは、作品自体に自堕落なクズが人生を賭けて逆転に挑むというコンセプトが全く息づいてない事からして違和感しか覚えないし、そもそもそんなクズに対して強運要素を全面に押し出した話作りをしちゃってる時点で、作品としての根本的な前提が破綻しているのだから、ギャンブルに勝利した時のカタルシスすら最早感じないのだ。

ダメだダメだとは言っても、ここまで燃えカスみたいな映画観せられるとは正直思ってなかったなぁ…。
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