櫻イミト

陸軍の櫻イミトのレビュー・感想・評価

陸軍(1944年製作の映画)
5.0
太平洋戦争3周年記念として陸軍省が松竹に依頼したプロパガンダ映画。1944年12月公開。木下監督の四作目。ラストシーン(6分半)が有名で、木下監督の伝記映画「はじまりのみち」(2013)で丸ごと引用されている。このシーンが「女々しい」として軍からは評価されなかった。木下監督の4本目。

原作は兵隊作家・火野葦平の同名小説。脚本は「浮草物語」(1934)「戸田家の兄妹」(1941)など小津監督映画の常連・池田忠雄。

明治時代。九州小倉の質屋「高木屋」では、先祖が譲り受けた水戸光圀『大日本史』の書を家宝にし、天皇のために尽くすことを家訓としていた。日露戦争が起こると、主人の友彦(笠智衆)は張り切って出征したが、病気で前線に立てず悔しい思いで帰還。その後、質屋をたたみ、妻のワカ(田中絹代)と共に福岡で雑貨商を開く。長男・伸太郎が誕生し、友彦は自分の果たせなかった思いを息子に託す。やがて伸太郎が出兵する日がやってきた。「男の子は天子様からの預かりもの。やっとお返しできる」と語る母だったが。。。

奇跡的な傑作であり大問題作。現在とはまるで違う戦前日本の庶民感覚が等身大で描かれている。純粋に天皇を敬い子供の出兵を心から誇りに思う戦前日本の庶民。天皇のために戦い死ぬことを当然の美徳とする父親(笠智衆)と母親(田中絹代)そして息子。現在から見たら異常としか思えないが、決して誇張して描いているようには見えず、それが社会常識だったことを思い知らされる。その上で、最後に母の情の爆発が描かれる。田中絹代の渾身の演技と追い続けるカメラワークが素晴らしく非常に優れた感動的なシーンだ。ただし、当時と今の観客では受け取り方に差があるのだと思う。

現在の自分が感じたのは、戦前日本というカルト国家の犠牲になってきた母心の痛ましさ。小柄な田中絹代演ずる母の無力で健気な姿、その悲しい運命に涙が止まらなかった。では、当時の観客はどう感じたのか?感動したのは同じだろう。しかし、帰結する所は「この母を守るために命を懸けて戦う」という一層の決意ではなかったか?

ラストにかかる主題歌「陸軍」

父母の慈愛に 抱かれて
男子となりて 幾年ぞ
身は軍服に 包むとも
君に見えざる この戦(いくさ)
胸に受け継ぐ 祖先の血
流れて永久に 国守る

情緒を刺激して戦意高揚させるのがプロパガンダ演出の肝であり、その意味で本作は最も危険なプロパガンダ映画と言える。(つくる会メンバーの保守派作家も本作を大絶賛していた)。

一方、当時このラストシーンを「女々しい」とした軍の評価は発注者としては至極真っ当だろう。松竹は次作として特攻隊の映画を軍に企画提案していたが、軍は本作の「女々しさ」に失望し白紙となった。木下監督はこれを不服として松竹を退社した。

※原作者の火野葦平は戦後、“戦犯作家”として指弾された。

※水戸光圀『大日本史』は、戦前までの天皇体制の根拠とされた書物

※ラストの行進が行われた福岡の中心街は翌1945年6月の福岡大空襲で全焼。市民902人が死亡した。
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