レインウォッチャー

ANIMAのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ANIMA(2019年製作の映画)
3.5
リコリス・ピザを待ちながら⑥

PTA監督は多くのミュージックビデオ作品を手掛けてもいるけれど、レディオヘッド界隈はその中心的なパートナーだ。元々は自身の映画音楽にジョニー・グリーンウッドを起用したことに端を発して、バンドやトム・ヨークともいくつかの映像作品が作られている。

今作はトム・ヨークが'19年に発表した同タイトルのソロアルバムと連動して作られたもので、アルバムから3曲を取り出した15分ほどの映像作品になっている。

男(トム・ヨーク)が、地下鉄で出会った女を追いかけていく。
その姿はいわゆる運命の女(ファム・ファタル)のようにも思えるけれど、タイトルにもある『ANIMA』は男性の心に内在する女性性を表すものだから、彼女は自分自身の片割れとも考えることができる。

これは、夢の中で自分自身の失ってしまった一部、あるいは忘れかけていた記憶と再会するためのダイヴなのだと思う。トム・ヨークらしい無機質で内省的なビートのテクスチャーに、内側への瞑想を促される。
彼女を追う際、彼の前に立ちはだかる困難の数々(道を阻む群衆や重力の反転…)は、夢で体がうまく動かせなかったり足が重かったり…という感覚を思い起こさせるもので、誰しも実感があるのではないだろうか。

この作品が作られるすこし前、'16年にやはりPTA監督はレディオヘッド名義の楽曲『Daydreaming』のMVを撮っている。(※1)
このビデオでもまた、トム・ヨークはふらふらと病院や住宅などの扉を次々とくぐり、当て所もなく彷徨う。この頃、彼は23年間連れ添った元妻を別れた直後に亡くしていて、その遣瀬ない経験が反映されているのだろうし、『ANIMA』にもまた引き継がれていることが窺える。

『ANIMA』で彼は彼女に再会するけれど、最後には陽の中で目覚める。そこに彼女はおらず、彼の表情はなんとも言い難いものだ。
人を亡くした後、徐々にその人の面影や思い出もまた時間と共に薄れていく。そして何度も反芻を試みるたびに、古いテープが褪せるように少しずつ違うものへと変容していく不安。

しかしどこかこの作品が陰鬱な印象に終わらないのは、再会した彼と彼女の柔らかい笑顔があるからだろうか。彼女がまた自分自身でもあるのなら、ある程度の折り合いをつけて後悔などを認められたということなのかもしれない。
その像が仮に脚色され、実態とは異なるものだったとしても、記憶は人を生かすためにあって、いつもわたしたちの内でそっと待っている。そんなことを考えずにはいられなかった。

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※1:https://www.youtube.com/watch?v=TTAU7lLDZYU