ろく

愛なき森で叫べのろくのレビュー・感想・評価

愛なき森で叫べ(2019年製作の映画)
4.0
三回嫌な気分になる映画。

まず、この映画で福岡で起きた監禁殺人事件を思い出し、嫌な気分になる。そして園子温が起こした性加害を思い出し嫌な気分になる。最後に「自分がいままで黙っていた言ってはいけないこと」を思い出し(あるいは無理に隠していた)、本当に嫌な気分になる。もう見終わったら自己嫌悪の嵐じゃないの。

だからこの映画を「胸糞」の一言で語り、みんな自分を安寧にしようとする。安易な言葉をつけて自分(それは映画を見ている自分だ)と距離を置き、恰も、自分には何もないというとこまでの逃避。だからだろうか、この映画の評価は頗る低い。

福岡の監禁事件に関しては詳しく知らない人も多いだろう。自分は新潮ドキュメンタリーシリーズのファンなんで知っていた。この映画を見て「こんなことある」と言う方、「こんなことあるんだよ」。人間ってのはどこまでも悪くて残酷で、それでいて軽薄なんだ。この映画での椎名桔平の立ち位置がなんとも気持ち悪い。

ここからは妄想。園は自分の「悪い」ことを知ってほしかったのでは。そう、映画を通して。殺人犯は逃げなければいけないのに現場に現れる。それは「自分が殺人犯だ」と知ってほしいから。そして園は。あの性加害が世に晒される前にこの映画は撮られた。「映画の中でのイリーガルと本当のイリーガルは違うんだ」そう映画の中で叫ぶ男は殺された。園は密かに知ってほしかったのではないか。自分がしたことを。自分がイリーガルであることを。その懺悔、告白として(その一方で無邪気な自己肯定として)この映画は撮られたのでは。それこそ「胸糞」なのかもしれない。でもそれだけでは語れないものがこの映画にはあるのだろうとも。それは「お前もそこに加担している」ってことなのかも。観ているあなただよ。

自分はやってない。本当か、程度の差ではないのか、だれかを「貶めてないか」「傷つけてないか」「苦しめてないか」「壊してないか」。そんな気持ちを心の隅に追いやっているだけでないのか。そしてその隅に追いやった「それ」をこの映画は引きだしてしまう。勘弁してくれ、そう思う。だから見て気分が悪くなる。もうこんな映画は見ない。

気分が悪い。そこに救いがないから。救ってほしかった。出てくる女性たちではない。観ている自分をだ。
ろく

ろく