だいすけ

スミス都へ行くのだいすけのレビュー・感想・評価

スミス都へ行く(1939年製作の映画)
4.0
正義漢が巨大な権力に挑むという全うなプロット。この手のストーリーには大抵、証拠隠滅を図った首謀者に対して、覆しようがない強力な証拠を提示することで逆転勝利を収めるという展開が伴う。しかし、本作のスミスはそうした証拠を一切持たず、ただ大した戦略もなく延々と語り続けるという手段をとる。ともすれば観客側はだれてしまいかねないこの演出は、かえって新鮮味がある。

だがこれこそが、人々の良心に訴えかけるというスミス流の戦略であり、そしてキャプラ監督自身の戦略でもあるのだろう。論説の対象は劇中人物に留まらず、観客にも民主主義の在り方を問うている。物語の結末も、監督が人々の良心を信用しているからこその帰結だと感じる。

アメリカ人の良心と密接な結びつきを見せるのは愛国心である。この映画は甚だ愛国心を煽る作品である。スミスが都内観光をするシーンにおける、米国旗や国会議事堂、リンカーン像といったオーバーラップ映像による刷り込みは、疑いようもなくプロパガンダの様相を呈し、辟易してしまう。

主役のスミスという人物は「子供」として描かれている。上院議員に推薦される以前は、ボーイスカウトの団長という子供の延長格のような役割を務めている。上京すれば、都会の物珍しさに目を丸くし、興奮をひた隠そうともしない。この「子供」の面倒を見る「母親」がサンダース秘書である。サンダースは、「無知」なスミスに対して手ほどきをして、彼が泣いていれば慰め、「学校」に臨む彼の背中を押し、さらには親心に似た感情からあらゆる援助を施す。元々はスミスに対してにべも無かったサンダースに母性的な感情が芽生え、顔つきが母親のそれになったのは、彼が故郷の自然について目を輝かせて語る場面だと記憶している。ここに、郷土と母性の連関を見る。スミスが国会で主張した、自然の中で子供の心身を鍛えることを主旨とした法案は、国の将来を担う子供を養育する母親=愛国心を育む郷土(国家)の理念形を提示しているようにも思える。

【雑記】
・ジーン・アーサーのハスキーボイスが魅力的
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