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マトリックス レザレクションズのVigocultureのレビュー・感想・評価

4.2
インターネット黎明期終盤に現れた先駆的なテーマのSFが、2000年代〜10年代のSFを取り込み進化して、批判的精神を忘れないまま蘇った。 

裏テーマ:99.9% ロジカルに辻褄のあったリブートを作ると映画ファンは満足するのか?いや、しない。

メタな舞台設定も、キャストの違いも、マトリックスという物語装置のおかげで成立してる。
けど、やっぱり”彼ら”が観たい、破綻していても。というのが非合理を求める人間の心。
「手の届かないものを求め続ける欲望と失う恐怖こそ人間を人間たらしめるもの」とはすばらしい台詞。

先駆的なアクションシーンはさすがになくなったけど、テーマはまだまだ現在とその先を見てる。

ターミネーターが続編とリブートで滑り倒した原因はT2以上の”未来”を描けずに焼き直しをやり続けたせい。

それらを痛烈に批判した上で、本作では、マシンが地球を支配した後にマシン同士も思想の違いで対立する可能性を見せたことが新しかった。
たしかに、あのシステムでは人間を解放した場合電力源が不足する。
具体的に言及されてないけどおそらく、「それでも人間の自由をある程度許す派」と「許さない派」が誕生して、ついに”アーキテクト”はそれを統制できなくなった。
そこで、システム上ではアナリストが現れ、ネオとトリニティの距離のバランスで実験を繰り返しVer6.1.....Ver6.5.....云々と進めながら、
現実世界では、ザイオンでマシンとの最終決戦に挑む派であるモーフィアスが担がれ、最後には滅びた。
袂を分かったナイオビは融和派のマシンと協力してアイオを創り上げた。
(融和派のマシンを導いた/見守ったのは預言者から”見守る役目”を任されたサティー)

このあたりの”その後”の筋も無理はなく受け止められるし、重要な個人が死んだとしても、誰かがデータ上のキャラクターを模倣(コピペ)し、その役目を再生するのをあそこまでハッキリやるのは、意外と他には見ない。

実際のところ、このあたりの”ロジカルな筋”がウォシャウスキー案なのか、ワーナー脚本陣から出たのかわからない。
前半のメタな批判論は確実にウォシャウスキーの私的な眼で、(おそらくワーナー上層部の会議やギークたちが口にする言葉を戯画化しただけ)
ロジカルな設定と先駆的な演出が際立つけど、彼女らがトリロジーで伝えたかったのは「愛が勝つ」(人間の本質は”愛である”)という古典的な命題が本当に伝えたかったのに、正しく理解されなかったから、そこをより強調して”とにかく愛”を伝えたのが本作。
「感謝してることもある…もう一度チャンスをもらえたから」は最高に私的な決めゼリフ。

スターウォーズが単にギークであるJJエイブラムスの二次創作に成り下がって終わったことに比べれば、本人が作った二次創作、という点ではまぁ一応は期待を残したまま。(リブート1作目としての出来はフォースの覚醒と近しいけど)


モーフィアスもスミスも別顔になってしまって寂しかったけど、メロヴィンジアンの再登場と捨て台詞「スピンオフで待ってるぞ」は最高だったね。

インターネット黎明期の権力者が落ちぶれて浮浪者となり、その後出てきたシリコンヴァレーのテックCEOよろしくイーロンマスク/ザッカーバーグそっくりになったスミスに”拾われる程度の立場”になってるのは痛烈な表現!

他にもニヤリと思えるポイントは多かったし、衣装もグッド。
個性的なサングラスデザインもモードで、サプールを楽しむ新モーフィアスも、ファッションが99年よりも進んだことを踏まえてたよね。

アクションやVFXは見慣れたものになつたけど、逆に哲学とフィジカルなもの(衣装、小道具など)の重要性は全く変わらず。それこそがシリーズが持っていた説得力だとわかってるのも嬉しかった。
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