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ルディ・レイ・ムーアのblacknessfallのレビュー・感想・評価

ルディ・レイ・ムーア(2019年製作の映画)
4.0
ブラックスプロイテーション映画(黒人向けに黒人主演、主要キャストも黒人中心で作られた娯楽映画)の中でそのぶっ飛んでハチャメチャな演出とおかしなセリフ等でカルトになってる「ドールマイト」、主演のコメディアン、ルディ・レイ・ムーアがその映画を作り上げるまでを画いた作品。

ブラックスプロイテーションは「コフィ」「スーパーフライ」「黒いジャガー」とか定番しか観てないぐらいの浅掘りなんで「ドールマイト」はこれを見るまで知らなかった。
撮影シーンやエンドロールに流れる実物のシーンを見る限りダメさが突き抜けておしろい自分好みの映画に感じた。

ムーアはコメディアンで当時そこそこの人気を獲得してた。コメディ・バーを一人で満員にできるぐらい。そこそこと言ってもかなりの人気者なんだよね。
しかし、このムーアって人はとにかく有名になりたい欲が強くて、ライブでちまちまツアーするより、映画をヒットさせた方が知名度が爆発的に広まると考えて映画製作に手を出す。
前半はムーアがコメディアンとして成功するまでの話。歌を出したりお笑いやってもパッとしない時に、近所にいるホームレスのおじさんがパンチの効いた下ネタを言ってるのを目にし、そのホームレスのおじさんの下ネタをパクって舞台で披露する笑
これが当たったもんで、ホームレスに酒やおこづかいを与えてしゃべらせ、それを録音し、アレンジして自分のネタにしていく笑
本当に手段は何でもいいからスターになりたい人なんだよね笑
元々50年代のダンスと歌で聴衆を魅了するボードビル的なエンターテイナーを目指したけど、ボードビルは廃れ本人も才能ないから、あっさり下ネタ芸人に転身する笑
そしてミスター下ネタとして売れっ子になる。

しかし、当時は下ネタは虐げられていてテレビなんかには出れない。ナイトクラブのライブとネタのレコードを出すのが精一杯。
そしてまたまだ黒人差別が色濃く残り、それはエンターテイメント業界も同じ。
ムーアが出るナイトクラブの客は黒人ばかり、店によって白人用、黒人用と色分けされてたんだよね。当時の人種差別がどんな感じだったが分かる描写が随所にあった。

だからムーアが作る映画も黒人向けに黒人が主役のブラックスプロイテーションになるのは時代の必然。
"おもしろい映画にはカンフーとカーチェイスとおっぱいが必要だ"というポリシーの元にムーアはそんな映画「ドールマイト」の製作に着手する。自分の名声を高めるために。

とは言え、映画に関しては素人だからあらゆるツテをたどってスタッフを集める。
真面目な映画専門の脚本家を拝み倒して本を書いてもらい、ナイトクラブに偶然いた有名俳優に突撃して出演交渉したりかなり型破り笑
普通こんな行き当たりばったりでうまくいくことはないんだけど、ムーアは持ち前の快活さと口八丁手八丁で体制を整える。
そこから映画完成までのドタバタ劇がかなりおもしろい。
ムーアの素人ならではの無謀なやり方にスタッフが異議を唱えて揉めたり、制作費が切れて急遽金策に走ったりとハラハラされれる笑

この一人の男のビジョンと無謀さに振り回されて何とか出来た映画がカルトになる話、よく考えたら「ディザスター・アーティスト」と同じなんだよね。ただ、「ディザスター・アーティスト」のウィゾーさんと違ってムーアは大金持ちじゃないから金に追われる切迫感があって完成までの過程がよりスリリングなんだよ笑

ムーア役はエディ・マーフィー、今は落ち目とは言えなんでこんなかなりニッチな映画に出たのか、最初は不思議に思った。

ムーアのコメディアンから映画に進出する選択、これは成功の規模が全然違うけどエディ・マーフィーとまったく同じルートなんだよね。
先人コメディアンとしてムーアに敬意があるんじゃないかと思った。ムーアが苦闘して道を切り開いてくれたから自分の成功がある。エディ・マーフィーにはそんな気持ちがあるんじゃないのかと?
口八丁手八丁でバイタリティーの塊であるムーアとエディ・マーフィーの資質は近い。劇中のムーアの魅力はそのままエディ・マーフィーの個性と被る。
そういう意味で映画内で起こってること以上に感動するんだよな。

ブラックスプロイテーションと先人のコメディアンへの愛と敬意をユーモアとペーソスで笑って泣ける傑作だと思う。
エディ・マーフィーの代表作の1つになる、間違いなく。
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