傑作。ガイ・マディン長編九作目。『臆病者はひざまずく』『脳に烙印を!』に続く"ガイ・マディン"三部作の最終章で、ガイ・マディン印とはいえ最も個人的な記憶に寄り添った作品とも言えそうだが、意外にも作品の発端となったのは彼の故郷ウィニペグについてドキュメンタリー映画を製作する企画であり、当初の題名は『Love Me, Love My Winnipeg』だったらしい。そこにプロデューサーの"ウィニペグなんてクソ寒くてクソ汚え街なのはみんな知ってるから、それ以外で頼むわ"という言葉がきっかけとなり(無論マディンにそんな"簡単な"作品を撮るという意図は微塵もなかっただろうが)、本人が語るところの"個人の歴史、市民の悲劇、神話的仮説"を融合させたウィニペグについての"ドキュファンタジア"作品が完成した。『臆病者はひざまずく』で"ガイ・マディン"を演じたダルシー・フェールが再び同役に返り咲いているものの、声はマディン本人によって吹き替えられている。また、幼少期のエピソードで登場する生家は実際の家を借りて撮影するなど、かなり気合が入っていることが伺える。物語は蒸気機関車の客席で眠るガイ・マディン青年がウィニペグの街を紹介する場面で幕を開ける。ウィニペグはアシニボイン川とレッド川の合流地点にあり、そのY字形状は女性の股を連想させ、それはつまり母親である、と。彼の中ではウィニペグと母親は同義なのだ。ガイ青年はしきりに"ここを出なければ!"と叫ぶが、それは母親離れを希求してのことか。続けて、彼はウィニペグの不思議な歴史を語り始める。まず、ウィニペグは夢遊病の発症率が異常に高く、彼らが無意識のうちに"帰宅"できるよう、昔の家の鍵を持ち歩いているそうだ。新しい住人は訪ねてきた昔の住人が起きて正常に戻るまで世話をしてあげねばならない、と。彼の語る物語は前触れなく脈絡もなく移ろい続け、それはまるで虚実を混ぜ合わせた夢のようなものであり、我々も夢遊病者の一人としてウィニペグに取り込まれていくような感覚すら覚える。普段通りのサイレント映画的な演出は、ある種の走馬灯を共有しているのかもしれない。