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失くした体のsatoshiのレビュー・感想・評価

失くした体(2019年製作の映画)
4.2
 2019年度のアヌシー国際アニメーション映画祭において、最優秀クリスタル賞を受賞した作品。制作国はフランス。ここ数年、私にも世界には実に多様なアニメーションが存在しているということが分かってきて、動画配信のおかげでそれをタイムロスがほとんどなく見ることができるという環境も整ってきたと思っています。なので、アニメに関心がある身としては可能な限り追っていきたいと思い、鑑賞しました。ちなみに時間の関係でNETFLIXでの鑑賞になりました。

 本作は、主人公の「手」が持つ記憶の物語です。何らかの事情で体と切り離された「手」がこれまでの人生を回想しながら「現在の」主人公のもとに辿り着く物語です。この「手」という設定がそのまま作品のメッセージと繋がっている点が凄く良い。

 この「手」の動きがとても素晴らしい。「手」が単体で動くので、鬼太郎みたいなのですが、その動きが「手」ならではの説得力があって、アニメーション的なスペクタクルを見せてくれます。この冒険譚だけで観ていて面白い。

 「手」が回想する主人公の記憶は、決して良いものではありません。むしろ、辛い体験が続きます。早くに両親を亡くし、割とロクでもない親戚に引き取られ、無気力に日々を過ごすだけ。彼の父親が言ったとおり、「人生は上手くいかない」のです。彼にとっての良い事、幸福は司書のガブリエルと出会えたこと。しかし彼は何にもない。ピザを配達した時のインターホン越しの会話が印象的で、「下」にいる主人公が「上」にいて、姿も見えない彼女に話しかける。これはもう彼の立ち位置と心境をそのまま表現しているシーンで、主人公が「何もない下の」人間であることが示されていると思います。

 この失くした「手」というものが、そのまま本作の根幹的な部分と一体になっています。それはラスト、主人公がガブリエルに残した音源で示されます。片手を失くし、屋上から飛び降りようとする音です。しかしそれは自殺ではありません。彼は「そこ」ではない別の場所へ跳んだのです。まるで失くした「手」のように、自分をその場所から「切り離した」のです。彼は「手」を失くしても、自分は見失わなかった。彼は喪失から、再生へ歩き始めた。本作は、「失くしてばかり」だった男が、決して自分を失くすことなく新たに「再生」するまでの物語だったのだなと思います。人生は上手くいかない。しかし、思い切って行動すれば、まだ「再生」はできるのです。
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