ニューランド

ニーナ・ウーのニューランドのレビュー・感想・評価

ニーナ・ウー(2019年製作の映画)
3.9
まるで、レフン=エル・ファニングの『ネオン・デーモン』の台湾版といった趣き・シャープさの、ショービジネス界のハラスメント・陰謀・価値観の狂気を巡って、現実と空想、栄光と汚辱、マスコミとパーソナル、都市と故郷、性と犯罪・暴力、意識と精神の病いらが、混濁してゆく映画だが、華やかさとは別のこちらの方に近しくなってゆくを感じてくは、同じアジア人ということだろうか、青年期以降台湾に移ってても、故郷のミャンマーの足場・根っこをつねに切り捨てられず、持ってるこの作者の引き摺る生理・感覚的なものが、ここでも何ともいえぬ、強烈・本質的な地方性として現れてて、下層・人間以下・地に這いつくばるを当たり前に受け入れも出来るアジア人の感覚の単色でなく、活きた個性があり・独自のそれぞれの(時の)バリエーションが惹き付ける・大元の失われぬ何かが都市に滲み出てゆく。何が現実・真実なのか、今いつで何処にいるのか、西洋的な抽象普遍的な模索は殆ど価値を持たない。とりあえず、ここで生を振り絞っている、その連続の途切れぬ不思議で、確かなちからだ。馬鹿馬鹿しく安っぽくも変にいとおしい?
機材・光景は明らかに安っぽい。しかし、主観・車窓・自ら疾走フォローのスピード・スマート感、アングル・構図・分割の切替え・確かさ、瞬間的力の現れ方、不安音やキャラのサイコ性、接写切返し中でも寄る・引くや回り込む細かくデリケートなカメラワーク、鮮やかと同時に微妙に侵食しあってる場面転換の力、俳優のアジア色残しながら毅然とした佇まい。本作をこの作家の最高作とは云えまい、しかし、映画の西洋的メインストリーム(スコセッシが『シンドラー~』を手放しスピルバーグに譲って、相手の企画『ケープ~』を貰った様な)に通用する地力の持主であるを十二分に証明してる作で、その場合でも真価は個性の強いドキュメンタルな資質の堅持から表れてるは明らかだ。
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