ジョルジュ・バタイユ(1897 - 1962年)の描いた「聖と俗」の力強さと言うと、言い過ぎになることは承知しながら、またそのベクトルは異なるものの、そのように言ってみたくなる魅力に溢れた作品だった。
バタイユの場合は、俗の底を突き抜けるように聖なるものが現れるところがあるのに対して、本作の場合は、聖と俗の強烈なまでの同居性が描かれる。
少年院を訪問するカトリック神父の影響から、キリスト教への信仰に目覚めた青年が、仮出所した先の町の教会で、教皇庁から派遣された神父と偽り、そのまま受け入れられてしまう様子から映画は始まる。
決して素行が良いわけではなく、暴力行為をはじめ、酒・タバコ・ドラッグ・セックスなどへの垣根が異様なまでに低く、それにも関わらず、ミサでは神秘的な青い目がどこまでも透明に潤っている。
やがて、不思議に人を魅了する力を若き司祭として発揮しながら、1年前に起きた事故によって町の人々の心が乱れ、分断されていることを知り、その渦中へと踏みこんでいく。そうしたなか、町長との軋轢、町民との葛藤、同じ少年院から出所してきた青年に脅されるなどして、事態は急展開していく。
邦画では、西川美和監督『ディア・ドクター』(2009年)を思わせるような状況でもあり、無資格者のほうが有資格者よりも、むしろ本質的なものに触れる姿が描かれる。また、本作の場合は実話に基づくとはいえ、その実話性が作品の力になっているわけでないことも、フィクショナルに描かれた『ディア・ドクター』と同じように思う。
圧倒的なまでに、聖と俗が同居する姿。
この映画に終始一貫して流れる強い気流は、その描写にこそあり、主演したバルトシュ・ビィエレニアという俳優のあの目がなければ、半分以上も力を持たなかったのではないか。それくらいに、凄い目をしている。
心の俗に分け入っていく聖なる心と、血まみれになって俗に染まる体。そうした描写の先に立ち現れる、どこかバタイユを思わせるような圧倒的な神秘性。
★ポーランド