ニューランド

あの雲が晴れなくてものニューランドのレビュー・感想・評価

あの雲が晴れなくても(2019年製作の映画)
3.5
☑️『あの雲が晴れなくても』及び『夏が語ること』▶️▶️
昨年、山形に2回目、泊まり込みでは初めて行った時のメインは、『~黒い』『単純~』等、嘗て驚かされたイラン映画最高峰の再訪だったが(王兵等には目もくれず)、空いた時間に観た僅かな新作の中に、本作と『夏の~』の掌編2本立があった。共にインドの僻地の小さな村のドキュメンタリーで、大自然の力、子供たち、伝承、夫婦(喧嘩)といった共通項のある似た世界を炙りだしてゆき、極めて優れたアプローチ·成果の作品であるが、その姿勢·温度は対照的ともいえる。
勿論、色々身近に働きかける本作の方が興味深い、面白い、ワクワクさせる。自然の物や細工物を組合せた玩具を家内工業的というか内職的に造ってる中に、何故か35ミリ映画フィルムのねじ曲げ変形も入ってて、それを半ば透かせた変な色·厚み越しの世界、更にフィルム自体の剥がれ·傷の強烈ノイズ性の捉えの、塊りが何回か介入もしてくる。村人たちにも距離·密着度が自然近しくて、労働·夫婦喧嘩·子供と母のやりとりらを、こちらの日常延長感覚で馬鹿馬鹿しくも、落語長屋ものの様に捉えこんでくる。また、TV等もつけっぱなしで世界情報にも、不思議に拡がり繋がってて、何十年ぶりかの、長い時間の日食の接近、高まり、祭化が、オープンにま、無意味に克明に描かれてゆく。意味の有る無しに係わらず、ガチャガチャと描写·温度が極めて濃い。また、嘗てのアングラ映画の好奇に充ちた熱気も、風土·辺境を活かし此方に橋渡しして、再現されてもいるようだ。インドは、大衆ゴラク長大作や、ライ·アラヴィンダンといった澄ました模範映画ばかりではない、と教えてくれる。
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これが『夏が~』になると、村が実際にその通りに存在しているのか、存在しているにしとも、作者·製作チームはどの程度コミットしているのか、頭だけで好き勝手に創ってるだけではないのか、いくらでも疑念がわく作りになっている。ナレーションや、村人·子供らの喋りの被せも醒めてて、まるで近しくない。しかし、考えられない香気·自然きわまりない神秘を我が物に出来てもいくのである。冒頭より殆ど暗み·闇、微かにうごめいている·画面の隅に光を受けた場所が僅かに存在、といった映画の存立ギリギリ、いやもう慣れ親しんだ映画世界ではないというのが平気で自然に続いていく。撮影スタッフが当てるライトとか、村人のかざす照明·車両のヘッドライトも映り·働かんとするも、部分の存在のあり方を示すに留まり続ける。やや、明るめ増えて来ても、これってカラー映画?モノクロでは?という位に、微かに淡く色めが感じられるだけまで脱色したかのような画面限界が続く。村人たちを捉え、語らせてもいるが、退いた絵でカットも割らず寄らず組まず、どういう距離なの、という感じ。しかし、朧ろか幻に見えかけても、紛れもなくどんな映画存在よりも現実に、いやそれよりも深いところから存在しているのが確信出来てくのである。「この村を守るのは、自然の神によってではなく、あくまで村に存する神によって。ここを侵害しようとする者もあまりの闇に入ってこれない」。村人の姿が本当に小さくにしか捉えられない大Lの田畑全景等にも、覆い包むように押し寄せくる白い霧かもやかの巨大さは、まるで人為的に作ったかの様で、深く大きな森らな存在も含め、自然の中にこそ神の存在が認められそうなのだが、そういった敬虔さなどにも従わないのがこの作品。単純も神々しい雲間の仰ぎ捉えも、山や森の奥の自然内を行く人間も、村の閑静で息づき存在するのか分からないような疎らなあり方も、同質の厳として無理のない太古からの世界の確信のように捉えられる。人は画面を動かす能動的に捉えられない、林の空き間に、単純なアニメで書き加えられたり、白衣めかぶりで人為的·宗教的に入れられたり、夫婦の言い合いも戸口から土間続きに出て立つ老妻だけが捉えられたり、大Lなどで少し動いてる程度で、もとよりは居ないのではないかというくらい、映画的要請を越えた、或いは本来の姿。家屋内も生気はなく、上方の小窓からの光が部分的に内の土塀らの部分だけを申し訳なく照らしてたり、一応ごちゃごちゃとある家具の固めにも旧いテレビは埃にまみれ点いてた気配はない。しかし、また木々の連なりを捉える列車からなのか車窓的力強い動力感、家々はポツンとあるだけでもなく、家らの間の狭めの路地といった空間も存在し、終盤画面が色の温もりを得てくると家々のある程度の集合も認められ、土塀に瓦に近い屋根と思ってたのが竹に近いものの組合せという、近しさも得られてくる。人よりも存在してたは、牛らだったのかと分かってくるところの何故かより暖かみ、同じく更に養蜂のあり方、その深めに掘ったところへの人為的巣らの配置、といった人の存在より以上に伝わるその痕跡への到達には感動をおぼえる。父子の迷子の話を初め何か不思議な逸話もいろいろ語られてくが、養蜂に関する蜂たちの命をかけた形の、そして終わりへんの子供たちの関係性で、当然か必然か「恋」という行為·存在が語られる大胆な力強さに、一気届くも何故か素直に染み込んでくる。括りは、暗い村の遠景の独自形不明瞭も存在確かな、いつしか馴染みのニュアンスの図。
はっきり製作意図·達成度が分からないと思ったは、この作品が前衛作というより映画製作機関の課題作らしいからなのだが、昨年末のリストでは迷う事なく年間最高作の一本とした。観る前は対して期待していない時間繋ぎだったが、始まってすぐに惹きこまれた。
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