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木靴の樹のgenarowlandsのレビュー・感想・評価

木靴の樹(1978年製作の映画)
3.7
木靴を履いた子どものほっこりストーリーだと思っていたら、歴史的に貴重なイタリア19世紀末の貧しくも敬虔な農家を描いたネオレアリズモの長編だった。四軒長屋の農家の暮らしをドキュメンタリーのように映している。

レビューを書いていて、この作品の奥行きの深さに気づき、感動がじわじわやって来た。パルムドールの意味もわかった。

ネット検索で現れる「あらすじ」は全編を観ずに予告編だけで書いたものと思われ、内容は全く違いミスリードさせられるので注意。

ベルトルッチの5時間超える大作『1900年』と同じ時代背景と題材。違うところは一般人が出演しているところ。農奴制は廃止されたが、まだ地主と小作の封建的な関係は続いていた。

「貧しいものは神にいちばん近い」

と敬虔な信仰をもって働くが、地主からの搾取で貧困から抜け出せない。

「神に富を求めてはいけない。求めるのは愛です」

と神父が説教するキリスト教観は、神に御利益を求める日本と明らかに違う。神に運命を委ね、厳しい戒律を守ることが前提で、それを破れば地獄に堕ちると心から信じている。

長屋の美しい娘が黒服で結婚式をあげ、遠路、街の修道院へ行ったことが哀しかった。貧しさで子どもを養育できないので愛する人の子どもを宿さずに、修道院から養育費を15歳までもらえる里親制度で養子を譲り受ける。村の子ども達と瀟洒な産着を着た赤ちゃんの笑顔が対比され、将来の不安が暗示されていた。

当時、愛情がないわけでは決してないが「子ども」という概念はなかった。労働力として一人前に至らない「未熟な働き手」である。子どもに教育投資する必要を感じない。唯一、神父からの勧めで親がしぶしぶ学校に通わせているのが件の少年である。

大人は貧しさの中にも渇いた欲望があり、小さな狡さを身に付けている。狡さや愚かさに正直イラッとした。なぜそこに隠す?物理的に失くなることが予想できない。樹も隠したつもりであった。

所々差し込まれるバッハ。天上の音楽が静かに響き、貧しさを運命と受け入れ、神の子として赤貧を生きる農民達を讃えていた。

ネオレアリズモなので、社会的に訴えたいことはおそらくベルトルッチの『1900年』と同様、貧村に必要なのは封建制度の廃止と社会制度の整備で、子どもの教育の義務化と費用負担、医療保健制度の充実と寡婦制度。加えて労使関係の法整備、等々だろうが、

いちばん印象に残ったのは地主の理不尽さよりも教会の存在だった。この作品ほど教会が人々の人生に入り込み支配していることを細かに描いた作品を私は知らない。

教会は心の拠り所だけれど、実際は封建制度(実体は地主)への不満を抑える働きや、現状を変えようとする社会の流れを塞き止める側面も感じた。現世の不満を封じ込め、来世に希望を抱かせ、代わりに運命をすべて受け入れさせ、封建制度と土地に縛りつける監視体制にすらみえた。一方、子どもに教育を受けさせるよう進め、養子縁組を仲介する。子どもを守ろうと目配りすることが、現実に教会でできる精一杯のことだったのかもしれない。

民主化の動きが勃興していたが、地主の土地の中にいれば世の動きを知ることもなかった。『幸福なラザロ』も農奴制が廃止されたことを長年知らされていなかった。『1900年』でも畑の向こうに工場の煙が見えて世の中が変わっていても、工場という存在を農民達は知らなかった。無知といえば一言だが、土地に縛られてきた民の世界はそこにしかなかった。教育の力を思い知らされた。

但し、村を出れば土地に縛りつけられない生き方を選べる。木靴は村から出るために神から贈られた幸せへの一歩だと思った。アジア人の私には「塞翁が馬」に思えた。また、父は地主のために生きるのではなく、子どもの教育を最優先した。教育に微かでも希望の光を見出したのだと思う。


イタリアのネオレアリズモを3作品観たが、どれも搾取の構図で描かれていた。農業国として本当に深刻な問題だったんだな。

同時代、2年前に製作された『1900年』と比べると、本作品は農民を哀れとも卑しくも描かず、ドラマ性を廃して、ドキュメンタリーのように淡々と描いているので、農民達の気高さの印象がいつまでも残り、レビューを書くことで理解が深まった。

3時間は長くはあったものの、長屋の人々の匂いや息づかい、温もりが感じられた。
前半は夜のシーンが多くて顔の区別がつかず、男性が口ひげで皆マリオかルイージに見えた。夕飯後は家畜小屋で4家族集まり、大人の教訓や笑い話を聴いて子ども達が育つ教育の場であり、重要なシーンだった。

予想通り『1900年』同様に、家畜を屠る場面が二回あり、音声も消した。けっこう長いので要注意です。

たびたびクローズアップされるプラタナスが気になり、鑑賞後に調べた。
プラタナスの木は成長が早いから並木として植えられ、大きな葉の木陰で哲学者プラトンや医学の父ヒポクラテスが講義したと言われる。現在、医学校に植えられているところもある。名前の由来はプラトンから。花言葉は天才や才気、好奇心。バランスの象徴でもある。

少年は学校で細胞や分子について学んだことをたどたどしい表現だったが面白がって話していた。好奇心が刺激されていた。少年が科学に関心を示し、呪術的で土着の風土から抜け出すことを暗示したのだと思う。西欧文化圏の人ならプラタナスのメタファーが何を示すかわかったのだろう。

少年と家族に幸あれ。
木靴は災いではなく、自由への靴。


と長々書いてきたけれど、スコアはあまり高くできなかった。知識としてためになったし考えさせられたが、面白いか面白くないかといったら、ドキュメンタリーだったら面白いが、劇映画としてはそこまではいかないかな。
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