せいか

ぶあいそうな手紙のせいかのネタバレレビュー・内容・結末

ぶあいそうな手紙(2019年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

05/22、Amazonビデオにてサブスク視聴。字幕版。
原題はポルトガル語で「Aos Olhos de Ernesto」。つまりは「エルネストの両の目へと(※英訳すればto the eyes of Ernestoとでもすればいいのか)」。つまりだいぶ原題と邦題は違うやつである。原題はつまりエルネストは弱視がだいぶ進行している老人である主人公の名前であり、作中、手紙が重要な立ち位置にあることに合わせたようなタイトルになっているのだと思う。もはや事物をまともに捉えられなくなっている目をした彼に宛てたようなものになっているわけである。

舞台はブラジルの地方都市。そこにあるアパートで40年以上を過ごしてきた老人エルネストは妻を亡くしても尚、一人暮らしを続けている。暮らし向きは全く良くはなく、ありきたりの老人同様にカツカツの生活を送っている。サンパウロで家庭を築いている息子は父親がろくに目が見えないということもあって心配し、さっさとこのアパートを手放させて自分たちのもとに呼び寄せようとしているが、彼がそれに従う気配はない。エルネストは隣人の老夫婦(の夫の方)ともうまく友人付き合いをしつつ過ごしていたものの、ある日、たまたまこのアパートに済む他の住人の手伝いをしていた若い女性ビアと知り合い、隣人の友人に声に出して読んでもらうことは憚り、かといって他に読んでもらえる宛もなくて読めずにいた、遠い昔に仄かに恋の気配があった昔なじみの女性からの手紙を彼女に読んでもらうことになってから、このビアとの付き合いが始まる。ビアはそこはかとなく信頼してはいけない雰囲気を纏っている女であるものの(実際、手癖は悪い)、彼は彼女に固執して彼女を庇護するように交流を続け、次第に良好な関係を築いていくのだった。

このビアという女性との交流が話の中心軸にあるのだけれど、いかにも無茶苦茶らしいことは登場時点から視聴者にも分かりやすく提示されており、実際、物語前半には、たまたま知り合ってちょっと家の中に招いてもらえたことに味をしめて彼の家に忍び込んで泥棒をすることも憚らないような様子が描かれる。物語の進展と共に、彼女には居場所らしい居場所がなく、金もなく、かなり追い詰められ、環境が良くないところで生きてきたような片鱗が示されていくことにはなるのだけれど、だからといって人の油断や親切に付け入ることをしたこと自体が許されるわけではないので(エルネストは何もかも理解して受け入れた上でどっしり構えてはいるのだが)、鑑賞している間は何か展開があるたびに胃が痛い思いをしてモヤモヤしながら観ていた。そりゃ、環境が彼女にそうさせているので、私には頭ごなしには責められないしそういうつもりもないのだけれど、このどうしようもない遣る瀬無い「モヤモヤ」こそ本作の本題のような気もした。だからエルネストのように鷹揚に構えてチャンスを与え、居場所を与え(つつ、自分自身の利益もそれぞれ叶えもするのだけれども)とするのは解決の糸口の一つなのだろうけれど、それでも周囲の人間が親切心から彼女を疑っていたのもそりゃそうなので、かなり無茶なことしてるよなあとも思いはした。こういう頭から疑って相手を否定することも彼女のようなひとを不幸に突き落として這い上がれなくし続けてきたものであることは間違いないのだけれども。
エルネストも本当に大した理由もなく彼女を受け入れる反面、周囲の親切にはつっけんどんになり、ビアとの付き合いに対して忠告したということで、だいぶ真摯に仕事をしてくれていた通いの家事手伝いをしてくれていた中年女性をいきなりクビにしたりもする。そりゃ結果的には居場所のないビアの深刻度のほうが深いというのはあるし、彼女の愚行には追い詰められているからという背景があるとはいえ、それをただ類推することもできるかもというだけの時点でエルネストはとにかく彼女を受け入れて他人は無視するところだけひたすら見せられるので、なんでなんだ……という感じであった(周囲の、ビアに対しても自分に対しても決めつけたような威圧的な態度が嫌だというのもそれはそれで分かるし、それがまたかつて自分が祖国を離れてこの国に来た理由と重なるものもあるのかなとも思うけれど、説得力のないまま寛容さを見せるのでわけわからんというか)。見ようによっては、凝り固まった生活から少し外れるきっかけをくれるので若い女性と(性的な目的はなくても)交流したいだけというふうにも見えるし。

ビアが善意で勝手に書斎に入って本棚の本を色ごとに並べ直すということをしたりもするのだけれと、あそこは個人的には観てて一番ウヒーーーーー!!!となった。色で視認が楽になるようにという気持ちでやってくれたことなのだけれど、本の整理ってそういうものじゃないものな。最終的にエルネストが折れて許すという形になっていたけど、彼の人生が冒されているような印象を特に持つシーンだったというか……。彼女とのやり取りはどれもおおよそポジティブに捉えればいいものなのだろうというのは分かってるけども。

ビアを通して昔なじみの女性との手紙やら孫へのビデオメッセージ、息子への手紙を口述筆記なり撮影するなりしてもらいながら彼は自分の気持ちを整理していくことになって、最終的に隣家の友人も妻を亡くしてそのまま子供の下へと身を寄せていなくなってしまったことも契機となって、彼の方もこの家を去ることになるのだけれど、彼自身は子供の負担になることを避け、ビアの立場の弱さに甘えて寄生することも避け、同じ思い出を共有し、同じ喪失感を抱えているからと、夫を亡くしたその昔なじみの女性の下へと身を寄せる最後となるのだけれど、なんかこう、力付くで物語をこちらに納得させてくるものがある大団円みたいなところがあった。ビアと話し合って手紙を書くことで自分の気持ちに素直になることを知っていく作品でもあったので、これは彼が自分がどうしたいのかに決着をつけさせる話でもあったというか、本作のねらいとしてはそここそが中心だったのだろうけれど。老後をいかに生きるかという。だからこそ、もともと彼の周囲にいてその老後を無難に生きさせようとしていた人々ではその意志を固めさせるだけの力になることはなく、むしろただ流されることばかりを促すものにしかならなくて、だからこそそこに風穴を空けられる存在、彼の視界をクリアにする存在としてビアがいたのだろうというのもそりゃ分かるんだけど、どうしようもなくモヤモヤしながら観ることになった。決定的なところで溜飲を下らせることをしなかったしそれを拒絶してる作品だったと思う。モヤモヤ抱えて生きてこ!


ところで、本作はブラジル(ポルトガル語)とウルグアイ(スペイン語)の往復書簡を行っているので、ちょこちょこスペイン語も登場するのだけれど、スペイン語の「死ぬmorir」の発音ってほんとなんだか綺麗でいいよなあと改めて思っていた。現状スペイン語で一番好きな言葉なのだけれど。言いようもなく詩的な空気がある。ラテン諸語系だと似たような語彙ではあるのだけど。


あと、書き忘れていたので末尾に付け足すことになったけれど、本作の背景には特に1970年辺りのウルグアイ、アルゼンチンなどの歴史も濃く織り込まれている。主人公や隣人がそもそもなぜブラジルに移住していたのか、故郷に帰ることを嫌がっていたかということは、作中でははっきりと語られないハイコンテクスト状態で表現されていた。ここは割と本作理解のためにできるだけ抑えておいたほうがいい要素だとは思う。
作中て隣人がキューバの有名な葉巻であるモンテ・クリストを愛飲していう上で共産主義がどうのと軽口を叩いていたのもそこに背景がありもするシーンとなっている。
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