ロメールの「パリのランデブー」や濱口監督の「偶然と想像」のような少ない人物で人間の機微を描く作品を期待していたんだけど、残念、そこまでは至らなかった。原作の志村も決して嫌いでないのになぜこうなった。それは多くが「モノローグ」の使い方にあるんじゃないかと思っうんだ。
モノローグって便利だよね。簡単に登場人物の気持ちを語れてしまうんだもの。でもその一方で「それしか感じ得ない」ようになってしまうのが最大の弱点じゃないかしらん。この作品もそうで語られる言葉に重さがなくなってしまうんだよ。
いや、内容は突っ込んでいたの。性のタブーもアニメで思いっきり描く。嫌いでない。嫌いでないんだけどそれなら紋切型なレベルのならないようにしなければいけない。ネタが少し突っ込んだものなんだから余計気にするべきなんだよ。なのにこの作品はそこにたいして「迂闊にも」簡単に踏み込んでしまう。だから見ている僕らは揺さぶられないんじゃないかな。
あと性の描写をぼやかすのはどうなんだろ。アニメでもそこは突っ込んでほしい。どうにも中途半端なとこに不満があった。
ただこんな内容をアニメで描こうとしたのは評価できるかも。その点で少し点はつけといた。「次回作に期待」