このレビューはネタバレを含みます
こういう話は嫌いじゃないのだけれど、今ひとつ物足りない印象を受けた。恐らく、短編や中編に求められる話の締まりみたいなものを感じなかったからだろう。
例えば、タイトルにもなっている『羊と蜜柑と日曜日』がそれぞれ劇中で登場するのだが、この3つを登場させる必然性を感じられない(ここで言う必然性とは羊、蜜柑、日曜日でなければならない理由のことである)。それ以外にもなぜさくらが清志郎の生まれ変わりになったのか、なぜ玉枝の生まれ変わりが柴犬なのか、、疑問は残るばかりだ。こういう細かい設定や辻褄合わせを嫌というほど緻密にやらないと短編や中編で名作を生み出すのは難しい。
とはいえ、私は本作を嫌いになれない。生まれ変わりというのは、愛する人にまだ生きていてほしいと思う者が抱く一種の幻想であり、玉枝は清志郎の、さくらは祖母のことを想うゆえに引きつけられたのだろう。富士山を見た玉枝がさくらに対して「もう忘れてしまったんだろうけど、、」と声をかけていることからもそう解釈できる。テーマが良かっただけに、物語と演出にもうひとこえして欲しかった。