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吉原炎上のnt708のネタバレレビュー・内容・結末

吉原炎上(1987年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

文字通りの「吉原炎上」。歴史を見れば、吉原で火災が起こるのは珍しくないし、吉原の大火と言えば、頻繁に物語の題材とされる有名な出来事である。よって、「吉原炎上」が吉原の大火であると同時に、物語の締めくくりとして用いられることは容易に想像がつく。

とすると、本作の主眼は物語の過程、吉原の風俗を描くことにある、と考えてよいだろう。実際、オープンセットや衣装は、物語の時代と比べても忠実に再現されているように感じる。しかし、遊女の暮らしぶりの描き方としては些かセンセーショナルに描きすぎているような気もする。自ら死を選ぶ者、酒に溺れて体を壊し、荼毘にふす者、、事実、そのような遊女もいたのだろうが、全てがそうではないはずである。控えめな映画を好む私としては、もう少し慎ましく、何気ない遊女の一日というのを描きながら、彼女らが抱える葛藤や心の移ろいを表現してほしかった。

ちなみに吉原の大火によって、吉原はその大半が焼失したが、決して消滅したわけではない。その後、太平洋戦争を経て、吉原も終焉を迎えることになるが、結局は赤線・青線やその他の花街へ遊女たちは仕事場を移すだけのことである。結局、物理的な空間としての吉原は消滅しても、当時から金で春を買うという仕組みは何ら変わっていないのだ。その名残は現在もある。吉原だって例外ではない。だから何だとここで語るつもりものないのだが、、

いずれにせよ、本作の映画としての作りは個人的な好みではなかった。もっと慎ましく、泥臭く、実直に、遊郭の世界を描いたらどうなるのか。花魁をはじめとしたきらびやかな世界とのコントラストで遊郭を描くのではなく、あの場所にあるどろどろとした人間模様をまっすぐに描く作品を観てみたいものだ。紫が言うように遊郭は嘘で塗り固められた幻かもしれない。それでも、あそこで生活する人にとってはあの場所こそ現実なのである。その点をわきまえた、外野の視点ではなく、当事者の視点に立った作品に出会いたいと心から思う。
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