ナガエ

コントラ KONTORAのナガエのレビュー・感想・評価

コントラ KONTORA(2019年製作の映画)
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意外なことに、メチャクチャ面白い映画だった。

まず、「意外」という言葉のニュアンスを説明しようと思う。

僕は普段から、映画を観る前の時点でほとんど情報を知らないようにしている。映画を観るか観ないかは、タイトルとかメインビジュアルとか3行ぐらいの内容紹介だけ見て、なんとなく決める。だから、映画を観る前の時点で、この「コントラ」という作品についてなにかイメージを持っていたわけではない。自主制作映画だということも、映画が終わった後のトークショーで初めて知ったぐらいだ。

映画が始まってしばらく、なんなんだこの映画?という感じの中に僕はいた。正直、よく分かんないなと思った。というか、その「よく分かんないな」という感覚は、結局最後の最後まで変わることなく続くのだけど、冒頭からしばらくの間は、「ちょっとよく分かんない感じするし、ちょっと期待できないかなぁ」という印象を持ち始めていたのだ。

でも。自分でも「何が」と聞かれると結構困るのだけど、途中からどんどん面白くなっていった。前述の通り、最後まで「よく分かんない」という印象は変わらなかったから、「よく分かんないけど面白い」という感想になる。

それが、凄く不思議な感覚だ。

事前情報を知らないで映画を観に行くので、ハズレだなぁと感じる映画にも当たる。で、僕にとってそう感じる映画は大体、「ストーリーがよく分からない」か「ストーリーに動きが少ない」かのどっちかであることが多い。映画をどう楽しむかは人それぞれ様々だろうが、僕は「映像の綺麗さ」とか「音響の素晴らしさ」とか「役者の演技がどうたらこうたら」というのは、正直あんまりよく分からない。「コントラ」も、とにかく冒頭から、映像はメチャクチャ綺麗だと思ったし、なんかよく分かんない雰囲気と白黒の感じも合ってたと思うのだけど、僕のこれまでの感触的に、ストーリー的によく分からない映画は、映像が綺麗だろうがなんだろうが良い印象にならないことが多い。

でもこの映画は、正直ストーリー的には「なんのこっちゃ?」という感じが結構あるのだけど、それでも、作品にどんどん惹き込まれていくし、登場人物たちがより魅力的に見えていくし、そういう非常に不思議な映画だった。

というのが、僕が「意外」という言葉を使った理由だ。

とりあえずまず、ざっと内容に触れよう。
田舎町に住む、高校三年生のソラは、退屈な日常に倦んでいる。父と祖父の三人で暮らしているのだが、ソラが唯一と言っていいぐらい慕っていた祖父が、ある日突然亡くなってしまう。ソファに座ったまま亡くなった祖父の足元には、直前まで持っていただろう手帳があった。戦争中、パイロットだった祖父の戦時日記だ。家族の誰も知らなかったが、祖父にはスケッチの才能があったようだ。綺麗なタッチで描かれたイラストと、祖父が書き記した日記に、退屈さを吹き飛ばす何かがあるような気がしてのめり込んでいく。
一方、彼ら父娘はふとしたことから、奇妙な男と巡り合う。その男は何故か、ずっと後ろ向きに歩き続ける。言葉も話さないし、話しかけた言葉を理解しているのかも分からない。
祖父の死と、後ろ向きで歩く男との邂逅。この二つの出来事が、ソラを日常の外れへと連れ去っていく。

テーマとか深読みとか背景とか、そういうのは色々あるんだろうけど、僕にはそういう読み解き方はあんまりできない。映画のラストに表示される字幕で、この映画全体がどのような方向性を持つものなのか理解できたくらいだ。

そういう深い読み解き方はできないが、何が面白かったのかできるだけ書いてみたい。

まず、主人公のソラの造形がとても良かった。良かったと感じたのは、どこにでもいそうな感じと、どこにもいなそうな感じが、絶妙にミックスされている点だ。

ソラは、端的にまとめれば「どこにでもいそうな田舎の女子高生」という感じではある。日常が退屈で、学校もたぶんダリィと思ってて、田舎を出て東京に出たいと思ってるけど、じゃあそのために何かしてるかっていうとそうでもない。こういう、「どこにでもいそうだなぁ」という雰囲気も、全体として非常によく醸し出していると感じる。

しかしその一方で、普通じゃない違和感を感じさせる場面も多々ある。普通女子高生ならそんな振る舞いしないよね、ということを躊躇なくする。

そして何より見事だったのが、そんな躊躇のなさが、ソラという人物にとってはとても自然に見えた、という点だ。

この「ソラは普通の女子高生基準からすれば明らかに違和感のある行動をするが、しかしそれが違和感のある行動に見えない」という点が、この映画を成立させる上で非常に重要なポイントだと感じる。何故なら、この映画において、「後ろ向きに歩く男」の存在は、どう考えたって違和感中の違和感だからだ。普通に考えれば、彼の存在は、どんな背景の中に置いても浮いてしまうぐらいどこにも馴染まないような存在だ。

しかし、ソラという女子高生が、「日常ともギリギリ馴染むし、非日常とは違和感なく馴染む」という立ち位置であるが故に、違和感の塊でしかない「後ろ向きに歩く男」の存在に対する違和感が中和されていく。「後ろ向きに歩く男」は最後まで結局違和感を撒き散らしたまま終わるのだけど(もちろん、たぶんこうなんだろうなぁという仮説はあるけど)、ソラがいるお陰でその違和感が「えっ、なんだコイツ」というものとしてではなく「思わず笑ってしまう」ものとして受け取ることができる。

ソラの存在が「後ろ向きに歩く男」の存在感を馴染ませていくお陰で、観ている側は、「後ろ向きに歩く男がいるという大きな虚構をまるっと飲み込んだまま映画を観る」ことに違和感を覚えなくなっていく。彼らにとっては自然なんだろう、という受け取り方が、するっと出来るようになる。だから、劇中で起こる奇妙な出来事に、素直に笑うことができる。「後ろ向きに歩く男」に対する「なんだコイツ」という感覚は、決してゼロになることはないが、その感覚があまりに大きいと、たぶん笑えないだろう。しかし、映画を観ながら観客(僕も含め)が色んな場面で声を上げて笑えたのは、ソラが絶妙な立ち位置を最後まで確保し続けたからだろうなぁ、と思う。

また、今感想を書いていてふと思ったことだけど、前編白黒だったことも、「後ろ向きに歩く男」の違和感を中和する作用として機能していたかもしれない、と思う。もしこの作品がカラーだったら、「後ろ向きに歩く男」の違和感が強く出過ぎるかもしれないなぁ、と思い、もしそれが狙いだとしたら、白黒である必然性もあるなぁ、と感じた。

また、一応ストーリー的には、「父と娘の和解」みたいな要素が盛り込まれていると思うのだけど、この「和解」がまた奇妙な形で進展する。特に、「これを◯◯したら学校に行くんだよ。これで◯◯するのは最後だよ」と父親が言うシーンは、あまりにも日常感からかけ離れていて、でもソラと父親の関係としては自然な感じがあって、非常に不思議な感覚だった。

他にも、ソラと「後ろ向きに歩く男」が緊迫した状態に陥る場面もあって、正直このシーンは、僕の中でどういうことなのかよく分かっていないのだけど、ただ「場面」としてはとても良かった。意味不明なものが意味不明な形でぶつかりあっているという異常さがふつふつと沸き立つ感じがあって、良い意味で「一体何を見せられているんだ」というザワザワした感覚に陥った。

説明されない部分が多いとはいえ、映画のラストはなんとなく「鎮魂」という言葉が似合うし、映画のホントのラストシーンも、画的にとてもかっこよくて、ストーリー的にまとまっているのかはよく分からないけど、「物語が終わった感」を強く感じさせるシーンだなと思う。

映画後のトークショーで、「後ろ向きに歩く男」役の間瀬英正氏が、「かっこ悪いと思われてもいいから、クラウドファンディングをお願いしたい」と訴えている姿が非常に良かった。彼がツイッターに上げた文章を、上映後にもらった。自分の言葉で切実に訴えている感じがとても良かった。とりあえず僕も、少額だけどクラウドファンディングに参加してみた。

https://twitter.com/masehidemasa/status/1361501165926502403

作品も良かったけど、こういう人間的な部分でも、いいなぁ、と感じる映画だった。
ナガエ

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