涼

ひとくずの涼のレビュー・感想・評価

ひとくず(2019年製作の映画)
4.9
 愛に溢れた映画だ。その熱量が、見る者を圧倒する。
 虐待された子供も、虐待した親も、出所者も、愛によって救われることは可能ではないか?生き直すことは可能ではないか?
 そう主張する本作に、励まされる人はどれほどいるだろうか?

 空き巣をなりわいとしているカネマサが、現場で虐待を受けている少女と出会う。その時、彼はどのような行動を取るか?そんな奴だから、何の興味も示さないのだろうか?
 本作の主人公カネマサは、意外な行動を取るのだが、そのキャラクターの造形、そして演じる上西雄大が素晴らしい。その見事な演技は、ソル・ギョングを彷彿とさせる。

 カネマサは、大人の女性に対しては、「このブス!」としか言わない。女性観客にとっては最悪の気分になるだろう。ここまで口の悪い主人公は珍しいのだが、本作を見た後の女性のインタビュー映像を見ると、口々に良かった、感動した、泣いたと言っている。
これはどういうことか?

 実はカネマサ自身も小さい時、虐待を受けていた。それが原因で事件を起こし、刑務所に入りひねくれた人間になってしまった。教養もないし、空き巣しかできないから自分に自信がなく、虚勢を張る。暴言を吐くのはその裏返しなのだ。

 そのカネマサだが、空き巣に入った家で監禁されている女の子を見て、瞬時に虐待されていると気づく。かつての自分がそうだったから、わかるのだ。あの頃の辛かった自分を思い出し、この少女(マリ)にはそういう思いをさせたくないと思う。マリを救うには法律とか常識とか無視して実力行使するしかない。

 この瞬間、クズはヒーローになるのである。優しい担任の先生も、児童相談所の職員も法律を意識し、一線を踏むことに躊躇してしまうが、カネマサならできるからだ。逆転の発想だが、こういうキャラクターを造形できることに、脚本家でもある上西氏の天性のものを感じる。

 マリにとっては自分をお風呂に入れてくれ、飲み物や食べ物を与えてくれる人こそヒーローである。カネマサを「泥棒のおじさん」と呼ぶが、それは愛称のようなものある。
 食べながら、徐々に笑顔を見せるようになるが、その変化に見る者は心底良かったと思うようになるだろう。

 一般に、「虐待の連鎖」と言われるが、実は科学的根拠はないとされている。アメリカの実証データでは、被虐待児の2/3は親になって虐待をしていないということである。

 マリの母親リンは、虐待していたことをカネマサに気づかされ、マリに愛を注ぐようになっていく。そう、虐待した親も変われるのである。
 今まさに我が子を虐待している親も、本作を見てリンと同じように変わるかもしれない。そういう点でも意義深い作品となっている。

 本作の演出はオーソドックスで、映画の文法のようなものをきちんと押さえているように見える。
 普通、回想シーンが何度も入るとわかりづらくなることが多いのだが、本作ではマリが虐待されるシーンの後にカネマサが少年時に虐待されるシーンが続き、二人は同じ境遇だったのだということが容易にわかるようになっている。
この辺が上手い。

 随所に映画的教養も感じるのだが、監督は何と小学生時代に映画をオールナイトで見ていたとのことなので、驚きかつ納得した次第である。
 この映画の流れであれば、エンドロールの後に何かあるはずだと思っていたら、やはりその通りになった。そこを見逃してはならない。

 本作については、上西氏の児童精神科医への取材を通して児童虐待の実情にショックを受け、それが動機となって何と10時間で脚本を書き上げたという。
 自分が登場人物になって即興劇をやるような感覚で作っていったとのことだが、こういう独特の方法が上西作品の魅力の根源になっていると思う。あくまで俳優の視点というところがポイントである。

 作品が俳優の視点から発想されているから、当然俳優の演技が良くなる。
 上西氏だけでなく、子役の小南希良梨ちゃん、それぞれの母役の古川藍さん、徳竹未夏さん、先生役の水村美咲さんなど、みな水準以上の演技だ。だから心を揺り動かされるのだ。
 有名な俳優とも共演したいという野望があるようだが、ぜひ役所広司と共演してほしい。

 本作はすでにイタリア、フランス、スペイン、ロンドンの映画祭で賞を獲っている。日本国内よりも世界が先に認めている感じだが、何とこの後7本映画を撮って公開を控えているという。
 このレベルの作品を7本も見れるとあっては、楽しみで気が遠くなるほどである。
涼