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プロミシング・ヤング・ウーマンのnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.2
  退屈な田舎暮らしで毎週末、夜な夜な場末のクラブで酩酊した「フリ」をしながら、今日も男どもに介抱されるのを待つ女。案の定介抱する男どもは大抵は彼女を助けたいわけではなく、彼女の美貌に触れて願わくば一夜を共にしたいのだ。しかし一度触れてしまった者はもはや日常生活には戻ることは叶わない。20世紀後半ならこんな恐ろしい所業を巻き起こすキャリーは快楽殺人犯なのだろうが、21世紀の現在ではやや毛色が異なる。自分たちが子供の頃にスクリーンで観たものが学校で教わることと同じくらい大事だとすれば、親に連れられ観に行くディズニーやマーベル映画は学校の勉強よりも優秀な教材だろう。肌の色で差別することは禁じられ、性的マイノリティの問題にも寛容な昨今の映画の倫理観は実生活よりも理想に近い。だがそれでも怒りを抱えた人間は別の切り口で社会に波紋を投げ掛けようとする。冒頭、クラブでEDMでバカ騒ぎする田舎の青年男性の股間を大写しにしたかと思えば、鼻の下を伸ばした心底下劣な表情の中年が少しやつれた表情のキャリー・マリガンに詰め寄る一連の描写を観ただけで、作り手にミサンドリーの影がちらり垣間見える。

 コーヒーショップに心赦せる上司がいても彼女がこの街に留まる理由がわからない。異常に過保護な両親との気まずい食卓はキャシーが意図せずこの街に留まっていることの証となるし、事実そこから拾い上げようとする運命の男も現れるのだが、では彼は介抱するために鼻の下を伸ばして近付いて来る男どもとはいったい何が違うのか?『プロミシング・ヤング・ウーマン』=前途有望な若い女というタイトルは何とも皮肉めいている。意図せず成功へのレールを外れたヒロインはある出会いが元で、外れたレールに再び戻ろうとするのだが、戻るという行為そのものの質が違うのだ。キャンディのようなカラフルな色彩感覚がその裏にどす黒い毒を感じさせるように、主人公のキャシーも彼女に近付いた仮初めの英雄ライアン(ボー・バーナム)もその他の登場人物たちもほとんど全てが、爽やかな印象の裏にとんでもない素性を隠している。冒頭、ワインレッド色のソファに酩酊したふりをしたキャシーはまるで磔にされたキリストのようだったが、美しい天使は自身の復讐劇によって現代社会の病理を炙り出そうとする。あの手錠の脱出劇だけは最後まで理解不能だし、力では勝てない男への復讐劇としてはこれ以上ないほどに不快な結末だが、観終わった後、確かに心をえぐられた気がした。
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