ブラックユーモアホフマン

プロミシング・ヤング・ウーマンのブラックユーモアホフマンのレビュー・感想・評価

3.5
スリラー映画としては明らかに弱い。

ジャンル映画の型を借りて切実なテーマを語る。(当然『ラストナイト・イン・ソーホー』も想起)その発想自体は大好きなんだけど、ジャンル映画としての完成度がおざなりにされていると、あまり愛を感じなかったりして、そういう作品は逆に好きになれなかったりする。キャッチーさだけ借りてないか?本気でジャンル映画を愛したことがあるか?

本作のキャリー・マリガンはサイコキラーとしてのカリスマ性に欠ける。心情が理解できて同情できてしまう。何より、彼女が男を殺すその瞬間が一度も直接的に描かれていないのがイタい。彼女を聖人のように描きたいのか?ならこんな設定やめればいい。やるならとことんやって欲しい。『ゴーン・ガール』のロザムンド・パイクのような絵面を期待していた。肩透かしを喰らった。

先日観た『ひらいて』に感じたことにも近いかもしれない。どちらも女性監督が倫理から逸脱した女性主人公を描いた映画だが、自分がこういう批判をするのは男だからなんだろうかとも考える。

が、例えばこの映画の性別を逆転させたとする。それは伝統的なサイコキラーものに近くなる。『血を吸うカメラ』でも『ハロウィン』でも『13日の金曜日』シリーズでもいいが、大抵はイカれた男が若くて美しい女性を殺す。そういった映画で、男が女性を殺すシーンは明確に映される。スプラッターとかスラッシャーとかいう呼ばれ方もするジャンル。
ならば、なぜ逆はやっちゃいけない?女性が男を殺すシーンだってやっていいし、むしろやるべきだと思うのだけど。

どんな理由があれ殺人は正当化されるべきではない。この映画に登場する男たち(と傍観する女性)は皆、間接的にであれ殺人に加担したと言える。彼らの殺人行為を糾弾するのであればこそ、彼女の殺人行為も詳らかに描かれるべきだ。そうでなければ彼らの殺人行為の責任についてもまた薄められてしまうと考える。

だからこその終盤の展開だとは思う。制作者もそのことを分かっていないわけではないと思う。しかし如何せん生ヌルい……。

あと単純にどうやって殺してるの?という疑問は湧く。手帳を見る限りでは相当な数の男を殺してきたらしい。彼女が酔ったフリをしてお持ち帰りされて無理やり犯そうとしてきた男全員を殺してきたのだとしたら、警察は何をしてるの?どのくらいの期間、彼女はその活動をしていて、なぜまだ捕まらないの?証拠を残さない手管があるのだとしたら、具体的にどうやってるの?犯罪映画の楽しみってそういうディテールじゃないのかと思う。
証拠隠滅とか全く興味ないマイケル・マイヤーズタイプなのか、完璧な証拠隠滅を図る『冷たい熱帯魚』タイプなのか。そういう脇の甘さが目立つ。テーマ先行で世界観の構築に興味がない、のか。

脚本よりむしろ撮影が面白かった。特に実家の両親とのシーンがやたら不穏なのが興味深い。プロダクションデザインの巧みさを感じた。

プロダクションデザインの巧みさや、主人公が鏡に向かって派手な化粧をするというシーンから『ジョーカー』も想起したが、やはりどちらもサイコキラーものとしては不満の残る作品だった……。主人公に対する憐憫や同情の念が強すぎるという点で。

ちなみにアルフレッド・モーリーナ出てたけどクレジットされてないんだな。なんでだろ、重要な役なのに。『スパイダーマン2』に続いて見たのは偶然です。

【一番好きなシーン】
昼間、デートに行くと言って出ていくキャリー・マリガンと両親との会話。何、あの不穏さ。