トムヤムクン

17歳の瞳に映る世界のトムヤムクンのレビュー・感想・評価

17歳の瞳に映る世界(2020年製作の映画)
4.5
原題の四つの副詞の並びを見た時に「?」となっていたものが、タイトル回収となる長回しのシーンでその意味が判然として戦慄を覚えた。質問されるオータムの顔だけを大写しにして、質問者側はフレーム外で、四択で答えを促す声だけが機械的にきこえてくる。質問される女性の顔の大写しという構図が、裁かるるジャンヌのファルコネッティっぽい感じがしなくもなく、印象的だった。「答えなければダメ?」といった態度をとっていたオータムだったが、質問が終わりに近づくにつれて、徐々に表情が歪んでいき、ついには泣き出してしまう。ツァイ・ミンリャン『ピクニック』で風雨にさらされながら看板持ちをするリー・カンションも、こんな強度のある表情をしていた。この長回しの表情を見た後に、世間一般で私たちを感動させるために用意されたイメージの凡庸なること。

この原題の意味がたちまち分かってしまう観客も、悲しいことに少なくないのだろう。劇中でおぞましく描かれる、田舎の高校で全く無邪気に行われるからかい、バイト先の客や男性上司のハラスメント。都会でも事情はさほど変わらず、地下鉄には逸物を見せつけて喜ぶ救いようのないオヤジがいたりする。日常生活に浸透している女性を貶めるレイプ・カルチャーの根深さ。邦題についても、ダルデンヌ兄弟風の主観追跡ショットにはよく合っていた。

田舎と都会の映画でもある。ペンシルベニアの田舎のハイ・スクールに通い、スーパーマーケットでアルバイトをする日々を送るオータムと従姉妹のスカイラー。望まぬ妊娠が発覚してしまい、Googleでセルフ・アボーションについてのあやふやな情報を得て実行するオータム。手一杯のビタミン剤を一粒ずつ水で飲み下しながら吐きそうになり、腹を殴りつける鈍い音が聞こえ、顔から少しずつ腹へとカメラが移る徐シーンが痛ましい。このシーンが示すように、オータムはどうしようもなく無知で無力ですが、それを彼女の責任というより、田舎の社会がそうさせるのか。だらしなくテレビの前に居座り、「雌犬」の可愛さを褒めるオータムの幼稚な父親。ちょっとした描写で、親子関係の不和、この街にいても打開がありえないことを感じさせる。クリニックの医者は母になることの幸せを説き、いかにも共和党風のプロライフな内容のビデオを見せてきて、オータムを追い詰めていく。バイト先の金を盗み、個人の意志で中絶が可能な大都会ニューヨークへオータムと共に旅立つスカイラー。

キスシーンにめっちゃグワーッとなった。映画が飽きもせず繰り返し描いてきた紋切り型のロマンス・イメージ。しかも花の大都会ニューヨークでの若い男女のキスなんて、幾百の映画が描いてきた。だけど、ここではそのロマンスの影に隠されていたかもしれない支配と抑圧が仄めかされている。視線の端でオータムの方へ手を伸ばすスカイラー、小指一本で繋がるシスターフッド。しかしこの望まれぬキスは、ボランティアに頼るなりの選択が出来なかったオータムのある種の弱さの招いたものでもあるのか…うーん。

ムンジウの『4ヶ月、3週と2日』を当然思い出させる。共産主義国で違法とされた中絶をするために奔走するムンジウのヒロインは、暗闇のなかを手探りで進み道をひらくある種のヒロイズムを持っていた印象だ(同時に妊娠した当事者である友人の無知さが誇張されている感じもして、それがヒットマン監督が指摘するムンジウの限界だったのだろう)。本作の2人のヒロインは、ひたすら男たちの視線と無遠慮な手に晒され常に緊迫しており、そうあらざるをえない。オータムのために金を盗むスカイラーのヒロイズム、フランスの娼婦の真似事をしてオータムを励まそうとする彼女の強さも、しかし…。

男たちがもれなくクズで、いっそ明快な演出で良いと思います。ケリー・ライカートの当日券が買えずにみた作品でしたが、非常に良い映画でした。
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