紫陽花

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実の紫陽花のネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

天晴。

極めてすぐれ、めざましい二時間の討論。
これだけ知識と熱量に溢れ、相手を慮る余裕が垣間見える二時間を私は観たことが無い。
それでいて、常にただならぬ緊張感を保ちながら、ユーモアを持ち熱情のみが浮き上がるような、静かでいて怒涛の流れ。それはまるで冬の明け方、冷たい海の底でマグマが渦巻くような、なんとも形容しがたいもの。


東大全共闘があの時武力を使わざるをえなかったのは、勿論彼らの保持する力を誇示するためでもあっただろうが、それ以上に国が彼らの意見に武力をもってでしか応じなかったからなのではないかと思う。
彼らの主張は、曲がりなりにも根拠を持ち、話に筋を通したものであった。彼らにその力があることは、その属する大学名を思うと理解に容易い。
そんな中で三島は、集団になってしまった何か大きな力に対抗するわけでもなく、1000人の中に一人一人を見出し、その全てを己の言葉という武器で説得しにかかってきた。
そんな三島こそ、彼らにとって待ち望んだようやくとも言える、闘うべき闘いがいのあるはじめての男だったろう。

あわよくば三島を襲撃してやろうと思っていた彼ら。そして、それを了承の上で舞い降りた三島。
三島が手をかけ目をかけていた楯の会員は当初討論の話を聞いた時、そしてついに長を送り出すその瞬間、気が気でなかっただろう。しかし、そんな両者や第三者からも想像することができないほど、言葉の掛け合いは繊細に、激しく美しく行われた。

それは、特に、三島による討論の姿勢がそうさせたのではないかと思う。
もし、三島から彼ら全共闘を馬鹿にするような言葉や煽るような姿勢が少しでも見られていたならば、三島の喉元はかき切られていたに違いない。両者にはそれ程の"間"しか無かった。
しかし、そこに現れた三島は、それは、敵である1000人を笑わせるユーモアセンスを持ちながら、煽りにも乗らず極めて低姿勢の上に彼なりの思想を強く並べる、まさに文学者だった。

あくまで反論者である1000人の考えを持つ者を前に、彼の文学作品を連ねきった男、三島由紀夫。
彼に対するリスペクト、その人生への興味が湧いてやまない。

そんな彼が身を削る覚悟で向かったこの討論に批評をつけることは、きっとこの先誰にだってできやしないだろう。
紫陽花

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