ナガエ

テスラ エジソンが恐れた天才のナガエのレビュー・感想・評価

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【彼がいなければ世界は100年遅れていた―】

というキャッチコピーが印象的な映画。

以前、『エジソンズ・ゲーム』という映画を見た。これは、エジソンとテスラという天才科学者にして発明家である2人の有名な「電流戦争」を描いた作品だ。「電流戦争」というのは、直流電流を主張するエジソンと交流電流を主張するテスラによる真っ向勝負のバトルで、現在世界は、テスラが生み出した交流電流によって成り立っている。エジソンは、完全に敗北した。

テスラは確かに天才だったのだが、恵まれた人生だったかというとそうとも言えない。これに関しては登場人物の一人が観客に向けてこう語りかける(この、登場人物が観客に語りかける設定はちょっと特殊なので後で説明する)

【もしテスラに世慣れた相棒がいたら、どうだったでしょう?】

確かにテスラには相棒がいた。オーストリア帝国(現クロアチア)時代の同僚であるシゲティだ。しかし残念ながら彼は「世慣れた」相棒ではなかった。

テスラはアメリカにやってきて、エジソンが興した会社に入社している。しかし、意見が合わずに半年で辞めている。すでにこの時点でテスラにはモーターや交流電流のアイデアがあったのだが、エジソンは他人のアイデアに耳を貸す人物ではなく、「交流電流に未来はない」とまで言い切っている。先述した『エジソンズ・ゲーム』の中では、テスラの交流電流が危険であることを知らしめるために、交流電流で犬を殺す実験まで行っている(本映画でもその場面は若干出てくるけど、あまり詳しく描かれないから、観ても状況がよくわからなかった人もいるかもしれない)

その後テスラは自ら「テスラ電灯社」を設立するが、騙されて無一文になってしまう。そこから屈辱の一年を経て、友人がテスラを偉い人に紹介してくれ、そこから最終的にエジソンを打ち負かすまでになるのだ。

何を伝えたかったかといえば、テスラが世に現れた時点でエジソンは超実力者として知られていたし、特許の取得や資金集めなどにももちろん長けていた。そんな人物を相手にするのだから、「社会を知らない一匹狼の天才」ではなかなか太刀打ちできない。

テスラが交流電流で勝利できた背景には、鉄道の空気ブレーキで財を成し大実業家となっていたウェスティングハウスの存在が大きい。ウェスティングハウスは、エジソンに勝つためにテスラに肩入れし、その後押しもあってテスラは勝利することができたのだ。

確かにテスラの発明は世界を変えた。今我々が電気を使った便利な生活を送れているのは、テスラのお陰だ。エジソンの直流電流は、理由は忘れたけど、今のような電気社会を生み出すのには向かない(今は技術が進歩してるからまた違うだろうけど)。テスラの交流電流がきちんと普及した(つまり、エジソンの直流電流で普及しなかった)ことで、便利な社会を享受できている、ということだ。

しかし、エジソンもそうだが、テスラも常に成功していたわけではない。交流電流の後は、エネルギーを無線送電するシステムの開発に取り組むがなかなか上手くいかず。テスラの脳内には常に様々なアイデアがあったようだが、結局それらは実現することなく、テスラは孤独に亡くなることになる。

そして映画の最後で、登場人物がまたこんな風に観客に語りかける。

【私たちが住む世界は、テスラが夢見た世界なのかもしれません】
(ややこしいですが、この発言をするのはテスラと同年代の人物ですが、「私たちが住む世界」というのは、今のこの近代的な世界のことを指しています)

テスラが活躍していたのは1900年前後(亡くなったのが1943年、享年87歳)。120年以上も前に、テスラは既に、今僕らが生きているような世界(もしかしたらそれよりもさらに進んだ世界)を頭の中で思い浮かべていたかもしれません。もちろん、それを証明することはできないでしょうが。

さてここで、「観客に語りかける登場人物」について触れたいと思います。

この人物はアン・モルガンという女性で、J・P・モルガンという大富豪(テスラの事業に投資もしている)の末娘。彼女はこの映画の中で、「テスラに恋をする女性」でありながら、「映画全体の語り部」でもあります。ある場面では彼女は上流階級の服を来てテスラと関わり、ある場面では現代風の服を来てパソコンの前に座っています。そして、登場人物でありながら語り部でもあり、テスラやエジソンやサラという女優などについて補足的な情報を付け足してくれる存在でもあります。

彼女は、1900年前後にテスラに恋をする人物でもあり、2021年現在において観客に説明をする人物でもあります。こうやって文字で説明するとややこしい感じがしますけど、そもそも僕は最初、「現代パートに出てくる女性」と「アン・モルガン」が同一人物だと気付いていなかったし、途中でそれが分かってからも、特に混乱することはありませんでした。

映画の中ではテスラの人間的な部分はそこまで見えてきません。それも仕方ないようで、テスラに関する情報というのはそもそも少ないみたいです。現代パートのアン・モルガンが劇中で言うのですが、ネットで「テスラ」と検索して出てくる情報は3400万件(「エジソン」は6400万件)ですが、その検索結果として表示される写真は、元を正せば4枚しか存在しないと言います。エジソンに関する伝記は多々ありますけど、テスラに関するノンフィクションは僕は読んだことがないし、おそらく出版されている数としても少ないのではないかと思います。だから、テスラの人間的な部分を描くのは難しいのだろうと思います。

その中でも、アン・モルガンとの関わりは結構描かれます。残念ながらテスラは、アン・モルガンにさほど関心を持ちませんが、父親のJ・P・モルガンは投資をしてくれる人物だから無下にできない。アン・モルガンは会いたい、テスラは投資を受けたいという理由で、二人は度々会うことになっていたのではないかと思います。

過去パートのアン・モルガンだったか、現代パートのアン・モルガンだったか忘れたけど、彼女が、

【私には謎でした。母親と同じような形でテスラに触れられる女性が現れるのか、と】

母親を亡くしたテスラは大いに消沈したようで、おそらくそれもあって、女性との関わりを忌避していたのではないか、と受け取れるような発言でした。そう感じているアン・モルガンとしては、サラという女優の存在は嫌だっただろうな、と思います。

今の時代もおそらく、テスラのような天才はどこかにいるだろうな、と思います(発明家や科学者に限りませんけど)。しかしこういう本物の天才ほど、金儲けが上手い起業家や技術への敬意がない商人に良いようにされてしまうだろうな、と思います。ゴッホは生前まったく絵が売れず無名のまま死んだ、みたいな話も有名だと思いますけど、こういう天才ほど、死んでから名を残すのではなく、生きている内に幸せであってほしいな、と感じます。

『エジソンズ・ゲーム』が結構エンタメ全開という感じで展開するのに対して、この映画は割としっとり進んでいく感じがします。ただ、ところどころ面白い演出があって、映画の中で何度か、「と、これは史実とは違いますね」と偽りの場面を描き出します。あと、本当に一瞬だったから自信はないのだけど、ある場面で明らかにエジソンがスマホをいじっている仕草をしていると思うんだけど、見間違いかなぁ。それも、「これは史実とは違いますね」と言っている場面でのことだったので、おふざけ的にそういうシーンを組み込んだのかな、と感じました。

凄く目を惹く何かがある、という感じの映画ではないのだけど、面白かったです。
ナガエ

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