森の一軒家で一人暮らしをしている母・エドナ(ロビン・ネヴィン)。ここ数日彼女の姿が見えないと警察から連絡を貰い急遽駆けつけた娘・ケイト(エミリー・モーティーマー)孫のサム(ベラ・ヒースコート)家は空っぽ、水染みの跡がある壁、あちこちに貼られた付箋紙。
不安を募らせる二人だったが、翌朝、エドナがいつの間にか戻ってきていた。
しかし彼女の様子は以前と変わっていて……。
独居老人、孤独死、介護問題、老い、認知症がキーワードかな。
奇異にみえるエドナの行動は認知症のそれですし(夜中の徘徊、独り言、自分の行動を覚えていない、言動が荒くなる、暴れる、人格が変わったようになる)
一人暮らしの彼女が、自分の異変を感じ取って、あちこちに付箋紙を張って思い出すようにしていたという演出は、胸が詰まります。
曾祖父が一人で住んでいたという小屋の話は、近い距離にあっても誰も気にかける者がおらず孤独に死んだ肉親への負い目や罪悪感が象徴されているのか……孤独死が全てネガティブなものでは無いと思いますが、やはり家族親族の繋がりが希薄だと浮かび上がる問題だと思います。
隣人の息子がダウン症?っぽく隣家もまた介護の問題を抱えた家族であるように思える部分も意味深。介護問題がテーマなのかなやっぱり。
エドナの胸の黴のような痕は、認知症の進行具合の隠喩……?(曖昧)
サムが迷い込む場所は、多分、認知症の"道が分からなくなる"症状の具象化かと。
ラストのエドナの脱皮を手伝うケイト……、自分は"変わってしまった母親を受け入れた"という比喩かなあと。
エドナ、ケイト、サムの川の字になってベットに横たわる場面で、サムがケイトの背中に黴のような痣を見つけて終わります。
……うーん、認知症はこの家族に遺伝し、やがてケイトもエドナのようになりサムはその問題を直視することになるよという意味なのか、測りかねましたが。
(認知症の遺伝的発症率は5%以下なので低め)
私自身、老いそのものは別段怖くないものの、認知症になることは少なからずかなり怖い……。
ので日本でも自己選択的安楽死が進めば良いのになあと思っている派です。
自分の始末は自分でつけたい。
(たぶんエドナもそう思っていたけれど認知症の進行は止められなかったってところが悲劇)
介護問題は避けて通れませんからね……。