シミステツ

ペルシャン・レッスン 戦場の教室のシミステツのネタバレレビュー・内容・結末

4.6

このレビューはネタバレを含みます

ナチスに捕まったユダヤ人のジル。すんでのところで一命を取り留め、ペルシャ語を話せるフリをしてテヘランで料理店を開く夢を持つコッホ大尉にデタラメのペルシャ語を教えていく。

1日4語、1年で1152語、終戦までに2000語はいけるという学習計画。シリアスながらもデタラメだということが分かっているから滑稽さも滲み出る。ナチスVSユダヤの映画は数多くあるけど、視点というかここに着目したのは天才だしある種漫画的だと思う。軍人側が戦争の外部にいるというか、レストラン開業の夢、そして戦争の最中に語学勉強というある種の「市民性」「人間味」を持ち合わせているというのも面白い。「読みだけできればいい」という設定が絶妙に打算的というか、確かに綴り教えろよとか言われたら詰むし、そのために読み書きはできないとジルが言っているのも設定においては賢い。

1日4語から40語に増えて、創作は簡単だが自らが教える偽ペルシャ語の記憶に苦しむという生きる辛さとは別次元の苦しみがあってシュール。でも世界観はいたってシリアス。この距離感がめちゃくちゃいい。すごい発明。

「愛はペルシャ語でなんだ」
「オナイ」

ここがフラグ。大尉が恋をして愛の言葉を伝えるとしたら。違う意味でゾワっときた。最後はどうなるのか?というのが後半の楽しみ方の一つがさりげなく提示される。

「木は?」
「ラージ」
「ラージはパンだろ!」
ボコボコにされるジル。ただ大尉は「馬鹿にされた」ということでペルシャ人であることは半信半疑の段。ジルは採石場に飛ばされ倒れ「母さん家に帰りたい」とペルシャ語(偽)でうなされていたためペルシャ人であることを確信したコッホの指示で医務室に連れてかれケアを受けることになる。

1500語覚えたところで今度はジルが会話のレッスンを持ちかけるマウントを取っていく。そうするとコッホが家庭のことなどの弱さを曝け出していくという、先生生徒、人格の切り替えという言語の本質というか、言語学習特有のマインドセットが面白い。

ジルは人の名前から単語を生み出す特殊能力に近い才能を持ち合わせているのも漫画的。

この映画の妙は、「いかに騙し通せるのか?」という大筋のサスペンス的争点から、徐々に大尉の優しさや内面に触れ、二人の一種のわだかまりが融けていく、立場逆転的な現象が起こる面白さと、ジルにとっては「自分がどう誤魔化し生き抜くか」から『ユダヤ人の仲間をどう救うか」という視野が広がるところ。そして真のペルシャ人がやってくるという危機で盛り上がりを作り、ジルを重宝したいコッホと自らの命と替えても人殺しのナチスに反抗したいジルとの二人のすれ違いの「友情」が描かれ、ああこの偽ペルシャ語はこの二人だけにしか知り得ない打算的「愛」の言語なんだと悟るに至る。

ジルの特異能力がラストシーンで名簿から消えた2840人の姓と名前にまでつながっていたという、「ペルシャ語」は名もなき人たちの名前で出来ている(生きている)という最後のメッセージはとてつもなく強い。こちらが本当の愛。コッホに若干の感情移入もあったので、空港で検挙されたのは可哀想だなと思ってしまった。

「缶詰を賭けて守る」

評価の分かれ方は設定や切り抜け方の妥当性に違和感を感じるかどうかだと思って、ちょい強引なところもあるけど史実(舞台=第二次世界大戦中のナチスドイツ)でリアリティを担保しつつフィクションの掛け算で「漫画的」作り込みの側面を感じ取れたのでならば俄然アリだという点で高評価にしてます。映画全体のシリアスでノンフィクション感ある空気にとらわれて観てしまうと、もっと戦争のリアリティやナチスの残虐さを見せるべきだとか設定の強引さなど逆に違和感が際立ってしまうかもしれません。