このレビューはネタバレを含みます
ずっと観たかった一本。聞いていたあらすじからはギャグの匂いしかしていなかったのに、実際はシリアスすぎてだいぶ辛かった。あと言語学習が趣味なので色々と興味深い。
ベルギーからトラックで何処かへ連れて行かれるユダヤ人たち。食べ物と交換にペルシャ神話の本を手に入れた青年ジルは、その後待ち受ける運命をまだ知らずにいた。
荷台から降ろされた彼らは、背後から撃たれて皆殺された。ジルは死んだふりをしたのを見破られてしまうが、ペルシャ語を勉強したい将校が話者を探していたことから、どうにかペルシャ人になりすまして生き残ることを選ぶ。
「生き残るためにペルシャ人のふりをして出まかせのペルシャ語を話すのだが、自作の単語を自分も覚えていなくてはならないデスゲーム」みたいなあらすじで本作を紹介している人がいた。ちょっと笑えるWWIIものなのかと思っていたら、全然そんなことはなかった。ずっとシリアス。
ジルは勉強熱心なコッホのせいで、単語の創作に行き詰まっていた。少しでもペルシャ語と触れ合いたかったのだろうコッホは、ジルを名簿係にして、自分の部屋の隣で仕事をさせた。名簿に輸送されてきたユダヤ人の名前を書き写す中で、彼は単語の創作法を編み出した。彼らの名前の一部を拝借するのだ。料理係も担っていた彼は、配膳の時に収容者から名前を聞き、それから単語を作り出すことにした。
そもそも名前は意味を持つものだった。というか、意味を与えるものだ。日本だと漢字の意味を込めて名付けをする。職業であったり何かをする者であるような意味を持ち、家族の職業や住処を司るのが名前なのだ。それを可逆的に作り変え新たに意味を与える。神の如く彼は言葉を作り出す。
冒頭のジルの呟きは最後に繋がっていた。遂に終戦を迎え、連合国軍が来る前に、てんやわんやの収容所内では人間も書類も全てが処分された。ジルの書いた名簿は燃やされ、ほとんどの収容者が「名もなきユダヤ人」として死んでいった。だが彼らの一部はジルの作った単語になり、2850の名前は「言葉」として生きながらえた。
本作の素晴らしいところは、ナチの内部にも渦巻く人間模様があり、彼らの「普通の人間」の側面をきちんと描写していたところだ。コッホにも3歳で父を亡くした暗い過去がある。元は料理人だった彼は、音信不通の兄のいるテヘランでレストランを開くためにペルシャ語を学びたがっていたのだ。徐々にジルに心を開くコッホであったが、ジルはそうではない。偽物の言葉で詩を紡ぎ得意になるコッホと、「ユダヤ人」であるがために国というものを持たず人間としても扱われない人々。自分だけが優遇される中、彼の精神はおかしくなりつつあり、だがドイツ人たちは未だ優雅に過ごしている。この対比がまた物語を一層引き立てている。コッホもただの人なのだ。
ジルを連れてきた兵士、ジルに名簿係の役目を奪われた女。兵士と付き合っていたのに名簿係に乗り換えられた女は、署長の短小をふれ回っていたことを本人に耳打ちする。彼らもただの日常生活を送る一般人であった。コッホも偶然ナチの集会に参加して党員になっただけだった。普通の人々が戦争という非日常の中、追う者と追われる者という立場から人間性をあらわにしていく。
前述の通り、ジルは2850人の姓名を口にする。彼は逃げおおせたのだ。コッホは偽のパスポートを手にテヘランへ向かった。自分のペルシャ語を信用して彼は彼の地に飛び立とうとしていた。結果はもちろん通じるはずはない。彼らが間接的に手を下した人の名前を口走りながら、コッホは「ドイツ人の風貌だ」と捕まるのであった。「ユダヤ人の風貌だ」と彼らが収容者(ジル)に投げかけていた言葉が返ってきた。
なんかすごかった。もっと評価されていいよこれ。