映像観し者

ペルシャン・レッスン 戦場の教室の映像観し者のネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

公開時劇場で鑑賞。

ナチスドイツのユダヤ人強制連行から逃れるため、自分はユダヤ人ではなくペルシャ人だと嘘をついた主人公は、ナチス将校コッホへのペルシャ語指導を命じられる。しかし、主人公はペルシャ語を全く知らなかった。嘘がバレれば殺される極限状況で、主人公は架空のペルシャ語を作りだし、命懸けのペルシャ語の授業(ペルシャ・レッスン)を始める。

コッホが優秀すぎて教えた言葉を即座に覚えてしまい、主人公が自分で作った架空の言語を覚えきれずに窮地に陥ったり、うっかり教えた言葉の意味を間違えて命を奪われかけたりと、どこかシチュエーションコメディ的な設定の本作だがその中身は命懸けの戦いだ。

レッスンが進むと、いつしかコッホは主人公を信用していく。将校以外は軍人であっても物資に困る状況にも関わらず、主人公のために食事を用意し、時には衣服まで与える。そしてついには自身の過去や、上官にすら秘密にするペルシャ語を学ぶ理由まで語り出す。
厳格で勤勉な将校コッホの芝居がよくて、じっくりと相手を信頼し打ち解けていく姿が丁寧に描かれており、細かな芝居からそれが伝わる。
一方で、最初は自分の命のためにペルシャ人を装い、命懸けで嘘をつき続けた主人公は収容所の安全地帯から他のユダヤ人を見つめることになる。食事も満足に与えられないまま過酷な労働を強いられ死んでいく同胞たちの姿に、いつしか自ら特権を手放そうとする彼の変化が辛い。
そして、一見双方が打ち解けあったかのように見える物語の結末はあっけないまでの破局を迎える。コッホは全面的に信頼した主人公を助け、だが主人公から教えられた偽りのペルシャ語によって逃亡したナチであることがバレて終わる。これが主人公の復讐成功とか、ざまあではなく、徹頭徹尾コッホが勘違いしていた結果だというのが、本作の秀逸な描き方だと思う。
コッホは主人公へ向ける自身の感情を信頼と考えていたが、結局はそれは所有欲でしかない。一方的に相手の命を左右できる権力の勾配を意識せずに上から彼を対等だと思い込んでいただけだ。
コッホの過去回想から正しいと思ってナチに賛同した結果望まぬ環境で生きることになったことが察せられるシナリオが、そんな結末になってしまう戦争というものの残忍さを浮き上がらせる。
本作はナチスの兵士たちをごく普通の人々として描いており、同時にそんな普通の人たちが戦争と差別構造の中に入ると、ごく普通の諍いが残酷な結末を招くことも描いている。そういった戦争を描く距離感が本作に奥行きを与えている。

最後、主人公が架空のペルシャ語を作るために収容所のユダヤ人名簿を使っていたため、彼は収容されたユダヤ人の氏名をそらんじることができる。それによって、ナチスが名簿を破棄した状況下で犠牲になったユダヤ人の記録が現代へ残される。
このラストは、シナリオの丁寧な軌道としてもいいのだけれど、生き残るために自身のルーツを偽った主人公が過酷な旅を経て自身のルーツを取り戻す。所属を手にし、そして大きな喪失を回想するという、えげつないシーンになっている。

非常に小規模な劇場公開だったが、多くの人に観てほしい完成度の映画だった。
映像観し者

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