やるせない想いが残る作品だった。
見終わって、『望み』と云う言葉について、改めて考えてみた。
辞書には、
・そうなれば良いと思うこと
・そうしたいと思うこと
・良いほうに進みそうな見込み
とある。
つまり、
『望み』の対象が、自分以外の誰かの場合は、相手に対する一方的な想いに過ぎない、と云うことだと思う。
父親が、母親が、妹が、そうなればよいと思うこと
マスコミが、事件記者が、ネットが、第三者が、そうなればよいと思うこと
あれも『望み』これも『望み』。
一方的な想いと云う意味では、両者に違いは無いように見受けられる。
しかし、両者には大きな隔たりがある。それは、[望む]前の繋がりの強さ深さである。
だから、繋がりの無いマスコミ等の『望み』は、軽薄で無責任に感じるのだと思う。
そして、見えないナイフで相手の心をグサグサ刺そうが、心が血だらけになっていようが、何も感じないその姿勢に、嫌悪感を抱くのだと思う。(色々自己弁護して絶対反省しないしね…)
[望む]前に、[そうなれば]と思う前に、大事な人とたくさん且つキチンと繋がっていたい、そう思わせてくれる良作だと思います。