この映画の登場人物たちは、「名前」を大切にする。
業平くんに近づくため、琴子がはじめに行ったのは「大声で自らの名を名乗る」ことだし、
縁(ゆかり)のことを「えん」と呼ぶのは琴子と業平くんだし、
父と母、そして自身の名前を声に出すことで純は父の存在を認めることになる。
冒頭で映し出された殺人事件の犯人は匿名で報道されるけれど、同級生たちの間でその名前が共有される時、彼らはその彼に想像力を働かせて“世界”を広げる。
個別具体的な名前を持った“その人”に共感し同情し、気持ちを推し量ることで彼らは内に秘めた孤独を解放する。
和歌の解釈と同じ。書かれていることをそのまま受け取るだけでは到達し得ない。文脈を理解し行間を繋ぐ、その作業こそがコミュニケーションの本質だと。
チャーハン美味しいやろ?
うん
それ冷凍食品
えっ
個人的にはコメディパートが全部面白くて、ふくださんの作品は今後もウォッチしようと思いました。