誰にでも悪の道に入ってしまう可能性はあると思う。
今の日本が裕福でその可能性が低いだけで、世界的に見ても貧困地区に住んでいれば、
現実のメキシコの現状や、裏の商売をしないと家族をまともに養えないなど、そういった現実に直面している人が世の中にはいる。
そこに生まれなかったのは、運が良かっただけなのかもしれない。
まだ10代で、親が居ないくて寂しい思いをしてる、欲しいものも買って貰えなくてミジメな思いをしてる、自分の親がヤクザ、母親が昔AVに出てたというだけで世間から白い目で見られるなど、
世の中に必要な仕事をしてる筈なのに、それを軽蔑したり、差別したりする人がいる。
大人になればある程度受け入れられる事も、
多感な時期に受けた虐待や、少年時代に大人が信じられなくなったりすれば、非行に走る心理は理解出来なくもない。
そういった人は、世の中に一定層存在してしまう。
いきなりヤクザになるという訳ではなく、少しずつ人を信じれなくなったり、悪さしてもバレない程度の憂さ晴らしから徐々にグレていく。
世の中は複雑で、思春期の子供には社会の裏表を理解するのは難解だ。
ある意味、グレるという行為は、純粋な行動なのかもしれない。
勿論、それによって迷惑を掛ける事を肯定するつもりも一切ないし、それをしてしまった人は、今からでも謝るべきだし、それなりの償いをするべきだと思う。
今でも昔のワルさ自慢をしてるなど、論外だ。
ただ今になれば、「あーアイツにはアイツの事情があったんやな」と歩み寄る事は出来る。
自分は絶対に悪の道には入らないと思ってる人がほとんどだと思うが、
例えば自分の子供が遊び半分のイジメで殺されたら?
自分を育ててくれる親の職業を、親の事を何も知らないのにバカにされたら?
憎しみや怒りに耐える事は立派だと思うが、怒りにまかせて悪に手を染めてしまう事も、人間の感情として分からなくない。
サイコ的犯罪や、生まれながらの悪を除いて、
悪が広まる根源は、「軽蔑する、差別する心」から来る事もあると思うし、多分それは世の中から消えないのだろう。
もしかしたら、その心が世の中から無くなればほとんどの悪は無くなるのかも、、しれない。
けど少なくしていく事、少なくとも人を差別しない心を身の回りに、社会に、育てて行けたらいいなと思う。
多分、この映画の制作者もそれをわかった上で、この映画を通し、そう働きかけているではないかと思いました。