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ラース・フォン・トリアーの5つの挑戦のarchのレビュー・感想・評価

3.3
敬愛してる先輩監督の「完璧な人間」という短編をほぼ強制的にリメイクさせる。それも5回も、それも条件を毎回決めて。

トリアーはそれが教育だとか、変化の為だとか色々言って澄ましてはいるが、結局は悪ふざけ。これまでやってきた"悪ふざけ"的なオリジナリティ溢れる映画手法の成功体験から来る「制約(或いはスタイル)のある映画作り=成功」に盲信した結果という感じ。

出来た映画がなんでもいい。作中でも言及されるように駄作でも良いのだ。その制約を順守しきったことで、「トリアーヤベーな」って思われるだけで意味があるのだ。

面白いのはこんなに画面に映っていて、実際に映画を作っていたヨルゲン・レス監督よりもトリアーに言及されること。これって映画を語る際に「監督の作家性」ばかりに注目される現象に似通っては居ないだろうか?
つまり、そこにプロデューサーや撮影監督や演者、或いは監督の親族や友人の影響がある可能性だってあるのに、監督の名ばかりが表に出る。その映画と造り手の関係性についても一考できる作品といえるかもしれない。
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