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親愛なる同志たちへのgenarowlandsのレビュー・感想・評価

親愛なる同志たちへ(2020年製作の映画)
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アンドレイ・コンチャロフスキーが描くソ連時代の闇の一つ、「ノヴォチェルカッスク虐殺(1962年)」。
ガチガチの共産党員である市政委員の母が、労働者のデモに参加し発砲され行方不明になった娘を探しながら、自身の信条の矛盾と共産主義の不完全さに悩む話。

しかし西側の私にとっては難易度高く、考察が長くなってしまいました💦

物価高✕品不足✕賃金カット✕不満分子逮捕という最悪な状況の中で、地方の町で工場労働者のストライキが暴動に発展し、軍隊と衝突する。しかし発砲して殺害したのは隠れていたKGBだった。大勢の若者が殺されるが町に厳戒体制と箝口令がしかれ、人々は「何もなかったこと」と誓約させられる。

アメリカに80年代に移住したコンチャロフスキーによる体制批判ではあるんだけど、なぜ今製作したのか?ということと、こういうソ連の闇って、西側諸国にとってはソ連に存在していると考えるのが前提で目新しさはないから意図がわからなかった。

体制批判なら、いつの体制を批判しているんだろう?プーチンの不満分子粛清を暗に非難しているとしても、ロシア国民以外には上記のように「昔からあったことでしょう」とピンとこない。

また、劇中の時代背景がストライキが起きる状況だったとしても、その前の独裁者のスターリン時代が懐かしいと主役の母親に言わせているのも妙。スターリンを否定していない。娘はスターリンの前のレーニンを偉大な革命家であり、自由な民主主義に導いたと尊敬している。言い換えると、完全に管理された共産主義に良さを見いだす体制側の母親と、共産主義は労働者のために生まれたと労働者側の娘。

西側の日本人の私には意味というか共産主義のその微妙な差異がわからない…どれも自由がない!民主主義なのか?それに劇中で共産主義と社会主義が混在して語られていたので余計にこんがらがった。

共産主義に矛盾を感じても、この混沌の時代を超えて耐えれば、良い時代が来ると信じ(させられ)る人々を描いていた。

以上のストーリーへの違和感は、
レビューを書いていて膨らんできたこと。


鑑賞中に感じたことは、

計画を達成するために、完璧や絶対を目指す社会制度は、相手が人間なんだから必ず綻びが生じるし、それをもぐら叩きみたいに叩いても完膚なきまでに叩けない。

欲望もあるし利己的でもあるし不完全な人間を、共産主義という宗教の信者として、完全に行動も思考も管理しようとしたとしても、食べ物がなければお腹は空くし、お腹が空けば文句も言いたくなる。食べ物があって、仕事が充実していても、横並びの評価でなく、少しでも人より優位に立ちたいと、どんぐりも競争する。

欲と競争は人間の生存原理なんだと思った。それに抗うことはやはり宗教に見えた。

「同志」と名前につけて呼び合うとき、信念や苦労を共にし、仲間内では利他的で互恵的になる痛み分けだったりする。喜びはシェアするんだろうか。計画の達成が「同志」の喜びなんだろうか。

人間の行動も思考も管理できて、それに従おうとしているロシアの人々の忍耐力、精神力に感服した。嫌みではない。ロシアの近代はどの時代も独裁的政治家がおり、自由が制限されている。この制限ある(禁欲の)生活が日常。

外側から体制批判は容易だが、外の世界に昔の事件を通して何を伝えたかったのかがわからなかった。怖い国、弾圧に怯える人々、機能しないシステム…は外の世界では周知のこと。

うっすらロマンス要素が入っていた。母親は人生にやつれた気の短い強烈なトゲキャラで、目付きもかなり行っちゃっていて危ない。なのに、要人たちから女として気に入られる。あり得ないなーと思った。(→監督のパートナーでした!すみません!)

要するに、一貫性のない作品で、社会に訴えたいことがわからなかった。それともそんな矛盾の社会を描いたのか。ご高齢な監督の「含み」を理解できなかった。私には理解できなかったので、スコア無しです。

◆追記◆

コンチャロフスキー監督のパートナーは本作品の主演でTVプレゼンテンターでもあり、この街の出身。年齢からして、妻の母親が本作品の娘なのかも。

それと、コンチャロフスキーは1990年くらいにロシアに戻っていて、ロシアで製作していて、兄弟はプーチンを肯定しているが世界からバッシング受けている。物言えぬ立場。
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